余市蒸留所写真 余市蒸留所写真

お酒の商品情報が含まれますので、
20歳未満の方は、ご覧いただけません。

お客様は、20歳以上ですか?

  • はい
    サイトを閲覧する
  • はい
    サイトを閲覧する
  • いいえ
    トップページへ
  • いいえ
    トップページへ

※20歳未満の方と端末を共有している場合は、チェックを外してください。

トップ > 蒸溜所 > 宮城峡蒸溜所 > 宮城峡蒸溜所の紹介「ニッカ第二の蒸溜所誕生秘話」

ニッカ第二の蒸溜所誕生秘話

おいしいウイスキーをつくるには異なる土地で育まれた複数のモルトウイスキーが必要になる。
第二の蒸溜所の建設は政孝にとって長年の夢でした。

宮城峡蒸溜所の建設を決定した記念の地

工場に隣接した新川の川原の隅に
「ニッカ仙台工場建設決定の地」の記念碑がある。
そして銘板には次のように書かれている。

「ニッカウヰスキー創業者、竹鶴政孝翁(故人)が昭和42年5月にこの地を訪れ、新川(にっかわ)の清流を汲み飲んで、あまりにも清冽で磨かれた味に驚嘆し、北海道余市に続いてニッカが求めた第二のウイスキーの故郷、仙台工場の建設を決定した記念の地です。」

工場の従業員はともかく、社員でもこの記念碑を知っている者は多くない。それもそのはず、竹鶴のウイスキーづくりの精神を引き継いできたOB達が平成 11年に建立した新しいものだからだ。
政孝は初めてこの地を訪れたとき、この川原において新川の清流で水割りをつくり、その味を確かめて即座に工場の建設を決定したという。

毎年5月末には、近隣の小学生による、自然保護を目的としたやまめの放流も行われている。

竹鶴政孝のその夢への確信

「2ヵ所以上の違った土地でできるウイスキーをブレンドすることが理想である」と考えていた政孝の命を受け、昭和42年、当時北海道工場長であった竹鶴威は同じウイスキーづくりの理想を抱く何人かと余市に続く第2の工場予定地を探していた。

それまで宮城、岩手の川という川に沿って適地を探したが、ここぞという土地には巡り会えなかった。
広瀬川と新川の合流点までたどり着き、祈るような気持ちで奥へ進んでいくと、視界が開けた。熊笹が茂り、湿気を帯びた荒地にポツリポツリとサワシバや山栗が生えている。
見渡すとあたりは夕闇に包まれ始めていた。

翌日、もう一度この地を訪れ、川原に下りて川の水を飲んでみた。「ここだ!」という確信が湧き上がるのを感じた。そして同年の5月12日、政孝をこの地に連れてきた。
政孝は川原へ行き「おい、ウイスキーを持って来い」と言った。
グラスにウイスキーを入れ、川の水を汲んで作った水割りを飲んだ彼は言った。

「実に素晴らしい水だ。ここに決めよう!」

建設地決定後、現地を調査する関係者

こだわりのウイスキーづくりのための大きな要素

酒造りに水の良し悪しは重要な要素であるが、蒸溜酒であるウイスキーの場合は醸造工程で使用する水より、ボトリングの前に割り水として使う水の方がウイスキーの品質に大きく影響する。
新川は雪解け水が地表面を流れて出来ているためミネラル分が少なく、ウイスキー本来の味わいを素直に引き立てる。

政孝が水割りを飲んで水を評価した理由である。

ウイスキーの蒸溜所の建設には、広大な土地の確保、貯蔵庫、醸造、蒸溜設備などの建設に莫大な費用と時間を要する。
新工場の建設地を水割りを飲んで即断即決したその決断力、行動力には今更ながら驚かされる。
いや、ある意味では道楽、ワンマンと映るかも知れない。
しかし、理想とするウイスキーづくりに対する強い信念と夢の実現に対する確信があってこその決断だった。

そして、わずか2年後の昭和44年5月10日、竹鶴政孝の長年の夢であった第二の蒸溜所である仙台工場が竣工したのだった。

仙台工場の竣工式当日、政孝の胸中はいかばかり満たされていたことだろうか。

工事中の工場内を先頭に立って歩く竹鶴政孝