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トップ > 蒸溜所 > 余市蒸溜所 > 余市蒸溜所の紹介「旧事務所」

旧事務所

竹鶴政孝がウイスキーづくりの地に選んだ余市。
工場の敷地に建てられた小さな木造平屋建ての事務所から琥珀色の夢は始まった。

ウイスキーづくりを支えたりんごジュース製造

1934年7月、北海道余市にニッカウヰスキーの前身である大日本果汁株式会社が設立された。
わずか16坪ほどの木造平屋建ての事務所の他に、割砕機、圧搾機、濾過機などを収納する建物とりんご倉庫。
まだポットスチルの姿はなかった。

その年の10月、農家から馬車に山積みになった大量のりんごが運び込まれた。それらを洗い、割砕機で砕いて、圧搾機で搾る。
やがてりんごは事務所の屋根より高く積み上げられ、工場は甘酸っぱい香りに包まれた。

ウイスキーは蒸溜した原酒を長い年月寝かせ、熟成を待たなければならない。その間ジュースを売ってウイスキーづくりを支えようとしたのである。

翌年の5月、大日本果汁株式会社はりんごジュースの販売を開始した。1本あたりりんご5個分の果汁が入った本格ジュースであった。しかし瓶詰めされたりんごジュースは2、3ヶ月経つと濁り始めた。天然ジュースではごく自然な現象だが、当時の清涼飲料水営業取締規則によって濁ったままでは販売できない。
そのため一度濾過して濁りが出ないようにしてから瓶詰めするようにした。しかしジュースの売れ行きは困難を極めた。どうしても濁りが出てしまうのだ。
町の人々はこう囁きあうようになっていた。「りんご汁を搾っている赤字会社」と。

創業当時の事務所と、その前にうずたかく積まれたりんごの山。

長年抱き続けた琥珀色の夢が現実の物に

年末になって、ようやく1基のポットスチルが届いた。
念願のウイスキーと一緒にりんごブランデーの蒸溜も行い、ウイスキーと共に眠りにつかせた。
赤字は年々膨らんでいったが、大麦の購入と醸造蒸溜作業を休むことはできない。ときに苛立ち、意気消沈する政孝は貯蔵庫で眠るウイスキーたちに大いに励まされたのだった。

そして1940年10月、政孝は原酒をたっぷり使い、香り高く重厚な味わいのウイスキーを仕上げた。
それが第1号ウイスキー「ニッカ角びん」である。

長年抱き続けた琥珀色の夢が現実の物になったのだ。

大日本果汁株式会社を略して名付けられた「ニッカウヰスキー」がここに誕生した。
馬車で出荷されるウイスキーの積荷を、政孝と全従業員は並んで見送った。

ウイスキーづくりを支えるためにつくられたりんごジュース

念願の第1号ウイスキー「ニッカ角びん」

琥珀色の夢が実現した事務所が余市町文化財に

工場が拡大し、新たな事務所ができると、旧事務所は政孝が1979年に亡くなる3 年前まで会長室として使われた。そして政孝が亡くなった翌年、余市町文化財に指定されたのだった。

「単身スコットランドに渡り、門外不出のウイスキーづくりを学んできた青年が余市川流域の沼沢地に原酒工場を設立。さまざまな困難を乗り越え、ついにウイスキーを誕生させた。
この一大事業は、余市町工業発達の一過程における文化的遺産として重要なものである」という理由からであった。

今はひっそりと静まり返る旧事務所。
この木造の小さな建物は、政孝をはじめウイスキーづくりに情熱を傾け続けた人々の苦悩や歓びを知っている。

創業時の「大日本果汁株式会社」という社名の入った金庫。つい最近まで現役だった。