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竹鶴政孝の夢と情熱

熱き24歳、単身スコットランドへ。
「日本から来たひとりの若者が、1本の万年筆とノートで、
わが国門外不出のウイスキーづくりの秘密を盗んでいった。」
1962年に来日した、後のイギリスの首相、ヒューム氏の言葉です。
その若者こそが、ニッカウヰスキー創業者、竹鶴政孝でした。
1918年、24歳にして単身スコットランドに渡欧。
何のつてもなく、持っていたのは“日本で本物のウイスキーをつくりたい”という情熱のみ。
政孝は持ち前の勤勉さと積極的な行動で多くの蒸溜所の門を叩き、
苦難と充実の2年間を経て、本場のウイスキーづくりを習得しました。

スコットランド研修の足跡

本物”を追い続け、夢は結実。
やがて、政孝は、スコットランドに似た気候風土の北海道余市に蒸溜所を設立し、
自らの理想とするウイスキーづくりを開始します。
熟成を待つこと6年、1940年秋、第一号ウイスキー『ニッカウヰスキー』を発売。
当時、リンゴジュースをつくっていた「大日本果汁株式会社」の「日」と「果」をとった
その商品名は、後に社名となりました。
その後も確かな品質の“本物”だけをつくり続けた政孝とニッカウヰスキー。そして、1969年。
渡欧から50年を経て、ふたつめの蒸溜所、宮城峡蒸溜所を設立。
「余市とは異なるモルト原酒を合わせて、さらに芳醇なウイスキーをつくる」という政孝の夢の結実でした。
“本物”にかけた夢と情熱は、今、「竹鶴ピュアモルト」につながっています。

竹鶴政孝とニッカウヰスキー年譜

<竹鶴政孝の生涯についてさらに詳しく>

竹鶴政孝物語
凛として~ウイスキーの父 竹鶴政孝~
産経新聞(朝刊)紙上でノンフィクション連載された記事を収録。[ 全9回 ]

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スコットランド研修の足跡
1918年7月、竹鶴政孝はアメリカ経由でスコットランドへ向かいます。アメリカでは、カリフォルニアのワイナリーを視察し、酒づくりの見聞を広めました。
そして、同年12月、スコットランドに到着。翌1919年から2年間にわたり、グラスゴーの大学での聴講や蒸溜所での実地体験を積んでいきました。
1. ロングモーン蒸溜所[ローゼス(スペイサイド)]
何のつてもなく門を叩いた日本の若者を受け入れてくれた最初のモルトウイスキー蒸溜所。
政孝は、キルン塔での麦芽乾燥をはじめ誰もが嫌がる釜の中の掃除も進んで行いました。
政孝自身、「その体験は大きかった」と、後に振り返っています。
2. ジェームス・カルダー社工場[ボーネス]
カフェ式連続式蒸溜機を稼動させていたグレーンウイスキー製造工場。
メモを取ることが許されず、政孝はポケットの中で密かに走り書きをしました。
研修終盤のある日、政孝の情熱を感じて老職人が装置の取り扱いを教えてくれました。
3. ヘーゼルバーン蒸溜所[キャンベルタウン]
スコッチ界の権威のひとり、工場長・イネス博士の下で実習。
博士はブレンダーとしても有名で、ここでは主に学問的な研究とブレンドの訓練を行いました。
結婚直後、妻・リタを伴っての数ヶ月でした。

竹鶴政孝とニッカウヰスキー年譜

1894(明治27年)6月
広島県竹原市竹原町に生まれる
1916(大正5年)3月
大阪高等工業学校醸造科(現・大阪大学)卒業、摂津酒造に入社
1918(大正7年)7月
12月
アメリカ経由でスコットランドへ向かう、カリフォルニアのワイナリーを視察
スコットランド着、グラスゴー大学と王立工科大学(現・ストラスクライド大学)の聴講生となり応用化学を学習
1919(大正8年)4月
7月
スペイサイド、エルギンのロングモーン蒸溜所でモルトウイスキーの製造実習
ボーネスのジェームス・カルダー社工場でグレーンウイスキーの製造実習
1920(大正9年)1月
5月
11月
リタと結婚
キャンベルタウンのヘーゼルバーン蒸溜所でモルトウイスキーの製造実習
帰国
1922(大正11年)
摂津酒造の洋酒製造計画が立消えとなったため同社を退社
1923(大正12年)6月
10ヶ年契約にて寿屋に入社、ウイスキー製造に従事し、1924年、山崎工場を建設
1934(昭和9年)3月
7月
10月
寿屋退社
北海道余市に、大日本果汁株式会社を創立
余市工場完成
1940(昭和15年)10月
第一号「ニッカウヰスキー」発売
1952(昭和27年)8月
ニッカウヰスキー株式会社に社名変更
1963(昭和38年)11月
カフェ式連続式蒸溜機を西宮工場に設置(1999年8月 宮城峡蒸溜所に移設)
1967(昭和42年)6月
柏工場完成
1969(昭和 44年)4月
5月
勲三等に叙され瑞宝章を賜る
宮城峡蒸溜所完成
1977(昭和 52年)10月
栃木工場完成
1979(昭和54年)8月
逝去、享年八十五、従四位に叙せられ銀杯を賜る