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ウイスキーのゆりかごと言われる「樽」
樽づくりの技術は若い職人たちへ綿々と受け継がれている。


樽の製造、修理を行うニッカウヰスキーの子会社ニッカ製樽株式会社。現在は北海道、仙台、栃木の各工場内に作業場があるがその中の主力がここ仙台事業所である。
ここの従業員は20代から30代の平均年齢31歳の若者たち。彼らはニッカの樽づくり職人の3代目にあたり、師匠と弟子という関係の中で習い教わった技術で樽づくりを続けている。
竹鶴政孝は余市でウイスキーづくりを始めるにあたって、当時竹鶴政孝が工場長を兼任していた横浜のビール工場から樽職人の小松崎与四郎を余市に迎え入れている。彼こそがニッカの樽づくり職人の初代。
ビール樽と比べてはるかに大きいウイスキー樽の製造にあたってスコットランドから輸入した樽を分解したりして研究をしたが、確かなビール樽づくりの技術を体得していた小松崎は、それほど時間もかからず立派なウイスキー樽を作り出していった。
そして小松崎によって確立されたニッカの樽づくりの技術は長谷川清道、佐々木亮一に受け継がれ、その後長谷川は余市、佐々木は仙台に分かれ、それぞれ弟子を育ててきた。長谷川は入社2年目の時、政孝から次のように声をかけられる。
「僕はいいウイスキーをつくる。君たちはいい樽をつくってくれ」。
胸に込み上げるものがあり、それが樽づくりの意欲をかきたててくれたと、これまでの樽との関わりを振り返る。



樽の主たる材料であるオーク材は、全く同じ材質のものは無い、まさに生き物である。また、今でこそアメリカから輸入した製材されたホワイトオーク材から樽づくりが始まるが、機械を使うのは鏡板の加工とタガの仮締めの時だけで、ほとんどは一人での手作業になる。
経験によって蓄積される人の技が頼りとなる樽づくりはマニュアルが非常に作り難く、師匠と一緒に働いて、みようみまねで技術を習得するしかない。
今仙台にいる若い職人たちも、師匠である長谷川や佐々木から直接、樽づくりを学んでいる。
樽づくりの最後の仕上げは内面を焼く工程。焼きが足りないとウイスキーの木の香りが付き過ぎ、焼きすぎると焦げ臭が付いてしまう。この時だけはブレンダーからの指示を受けながら焼き加減を調整することも多い。
焼き終わった樽は鏡板がはめられ、タガが締めなおされて、蒸溜仕立ての無色透明のウイスキーが入れられる。
5年、10年、20年と時の流れとともに樽の木材成分がウイスキーに溶け込み、無色透明のウイスキーが琥珀色に輝き始める。樽職人たちはその時初めて自分のやってきたことに喜びを感じるという。彼らが目指すものは、立派な樽ではなく、それから生まれるおいしいウイスキーなのだ。
一見するとどこにでもいそうな若者たち。
しかし、ものづくりに燃える彼らの目はどこまでも輝いている。そして彼らなくしては、ニッカのおいしいウイスキーは存在しない。