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- ニッカがおいしい理由
- 受け継がれる技 「世界でたった15人の内の1人」
工程のほとんどが手づくりのウイスキー樽。
樽職人の仕事は、原木の見極めから樽の組み立て、内側の焼き入れ(チャー)、旧樽の補修まで多岐にわたります。
木の一本一本の木目が異なるように、目的とする原酒に応じたひとつひとつの樽をつくるには、熟練した技と勘が必要。
ニッカウヰスキーの樽づくりの技術は、創業以来、「名人」とも評される匠たちに培われ、伝えられてきました。
創業時からニッカの樽づくりを担ったのは、小松崎与四郎。
当時、竹鶴政孝が工場長を兼任していた横浜のビール工場から迎え入れた樽職人です。
当初はスコットランドから輸入したウイスキー樽を分解したりして研究していましたが、元々、確かなビール樽づくりの技を体得していた小松崎は、ほどなく、立派なウイスキー樽をつくり出していきます。

政孝は「日本に5人といない名人がうちにいる」と、小松崎が自慢でした。
「木には個性があり、癖がある。人間と同じ。修理のときも元の木の癖を読んで、それに沿って新しい木を入れなければならない。」それが小松崎の言葉。彼の技と心は、長谷川清道と佐々木亮一に受け継がれます。
小松崎の厳しい指導、樽づくりの難しさ、重労働。16人いた職人のうち、残ったのは長谷川と佐々木の2人だけ。長谷川は入社して2年目のとき、竹鶴政孝に声をかけられました。
「僕はいいウイスキーをつくる。君たちはいい樽をつくってくれ。」
その言葉を胸に刻み、長谷川は樽をつくり続けます。
「いい原酒といい樽といいブレンダーがいて、初めていいウイスキーができる。樽の重要性は非常に大きい。きついなんてもんじゃない仕事だが、その思いがあるから耐えてこられた。」
長谷川は、現役を退き、後進の指導にあたっていた2001年に、スコットランド樽職人組合から「世界の樽職人15人」のひとりに選ばれました。
まさに、名実ともに樽づくりの「名人」となり、ニッカの樽が世界に認められた栄誉。そんな長谷川でも、樽づくり30年目を前にした頃、50年前の小松崎の樽を見て、自分の樽はまだまだだと思ったとか。
今、余市と宮城峡では、長谷川と佐々木の指導を受けた若い樽職人たちが育っています。
ウイスキーが歳月をかけて熟成するように、樽職人が育つにも経験を積む長い年月が必要。

樽の中のウイスキーは5年、10年と時を経るに従って琥珀色になっていきます。そして樽職人も少しずつ先達の域に近づいていくのでしょう。
