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ウイスキー小史

始まりは透明な「地酒」

蒸溜直後のモルトウイスキーは、無色透明で、味も香りも荒々しい。14〜15世紀にまでさかのぼるウイスキーの歴史の初め、スコットランドの家庭では、自家蒸溜したそんな「地酒」が飲まれていた。
やがてモルトウイスキーの木樽による貯蔵・熟成の効果が発見され、酒質が飛躍的に向上し始めたのは18世紀に入ってのこと。

重税こそ、熟成の恩人?

18世紀の初め、大英議会は、財源確保のため酒税の大幅な引き上げをスコットランドに適用。しかしそれまでごく当たり前のこととしてモルトウイスキーをつくっていた農民は、酒税の重圧から逃れるために、手近にあったシェリー酒の空樽に「密造ウイスキー」を詰めて、徴税人の目につきにくい人里離れた渓谷に隠した。時を経てひそかに樽を開けてみると、透明だったウイスキーは琥珀色になり、味も香りもまろやかに変わっていた、といわれる。

「コストと量」という難関

熟成によって洗練度を増したとはいえ、スコットランドのモルトウイスキーは、まだ限られた地方の酒に過ぎなかった。モルトウイスキーは、高価な大麦を素朴な単式蒸溜器で蒸溜し、さらに樽で熟成したもの。
この条件は、生産のコストと量を確保するという二つの点で制約があり、輸出には不向きだった。

グレーンウイスキーの出現

比較的安価なとうもろこしなどを主体に、効率のよい連続式蒸溜機で蒸溜したグレーンウイスキーが、ようやく19世紀の中頃に登場する。昔からのモルトウイスキーと新しく生まれたグレーンウイスキーとのブレンド技術が発達し、ようやく飲みやすさの向上と、十分な量の確保、コストの低減が可能になり、スコッチウイスキーは世界の蒸溜酒になっていった。

年表

1172
ヘンリー2世、アイルランド遠征で「ウスケボー」と呼ばれる酒を記録。
1494
スコットランド大蔵省、「修道士ジョン・コーに『生命の水』のための発芽大麦8ボル」と、文書に記載。
1707
イングランド、スコットランド併合。
1713
大英議会「麦芽税」をスコットランドに適用。反発したスコットランド農民による、山間部でのウイスキーの密造が盛んに。
1725
グラスゴーで「麦芽税」をめぐる暴動。
1770
アメリカで初のライウイスキーが生産される。
1777
エディンバラの公認蒸溜所8ヶ所、密造所400ヶ所以上。
1787
カナダのケベックに3ヶ所、モントリオールに1ヶ所の蒸溜所。
1788
アメリカで初のバーボンウイスキーを、ケンタッキーのクレイグ牧師が製造。
1826
ロバート・スタイン、連続式蒸溜機を発明。
1830
イニアス・カフェ、連続式蒸溜機を改良し特許を取得。カフェ式蒸溜機と呼ばれる。
1833
ダブリンにカフェ式蒸溜機を使った蒸溜所が登場。
1851
アメリカのメイン州に禁酒法。13州に広がる。
1852
アメリカ使節のペリー、日本にウイスキーを持参。
1853
エディンバラのアンドリュー・アッシャー、ブレンデッドウイスキーを発売。
1865
グレーンウイスキーの原料として、とうもろこしが注目される。
1879
フランスのぶどう園、フィロキセラ虫の被害で全滅状態。コニャックの入手が困難になった英国で、ウイスキーの消費が拡大する。
1885
英国でブレンデッドウイスキーが流行。
1905
北ロンドンの裁判所、ブレンデッドウイスキーをウイスキーとして否定。モルトウイスキーの定義をめぐる論争が拡大。裁判が続行される。
1909
グレーンウイスキー業界、モルトウイスキー業界に勝利。ブレンデッドウイスキーは、正式にウイスキーとして認知される。
1918
スコッチウイスキーの製法を学びに、竹鶴政孝、スコットランドに留学。
1920
竹鶴政孝帰国。1923年、寿屋(現サントリー)に入社。アメリカ全土に禁酒法が発効。密造酒の時代に。そのため、これ以後カナダでの生産量大きく伸びる。
1924
日本初のウイスキー蒸溜所、寿屋・山崎蒸溜所完成。
1929
国産第1号ウイスキーとして「白札」発売。
1933
アメリカで禁酒法が撤廃される。と同時にカナダはアメリカ市場に進出。
1934
寿屋を辞した竹鶴政孝、北海道・余市に大日本果汁(現ニッカウヰスキー)を設立。
1943
日本、酒税法でウイスキーの等級を定める。
1962
ニッカ、カフェ式蒸溜機を英国より導入。
1989
日本、ウイスキーの等級を廃止。
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