
今年でニッカウヰスキーは創業70周年。世界の中では、ウイスキー蒸溜所としては、まだまだ駆け出しといったところだ。しかし、政孝親父が英国に就学してから86年。余市に続いて宮城峡蒸溜所でのウイスキーづくり、今やスコットランドでも数少ないカフェ式連続蒸溜機の導入。そして、2001年に「ウイスキーマガジン」主催のテイスティングコンテストで『シングルカスク余市10年』が世界最高得点を獲得し、2002年には『シングルカスク余市』が「ザ・スコッチ・モルト・ウイスキー・ソサエティ」のコレクション・ボトルに選ばれるなど、よくぞやり遂げたものだと思う。
創立記念日の7月2日、ニッカウヰスキー本社の地下1階に「ニッカブレンダーズ・バー」がオープンした。セミナーがある日はつくり手であるブレンダーがお客様にウイスキーの特性や面白さを語りかけ、時にお客様とウイスキーについて語り合うというものだ。私がブレンダーの頃もウイスキーの説明に出かけることはあったが、相手は店のお客様ではなく飲食店の従業員の方々がほとんどであった。
バーといえば、昭和30年代、ウイスキーの高度成長期時代を迎えた頃には「ニッカバー」が巷に溢れた。ボトル棚にはニッカ製品がズラリと並ぶ。「ニッカバー」といっても“ニッカ”という名称を使用するのに特別な許可は要らない。ただし置くのはニッカの製品のみ。いわゆるバーという名のファンクラブのようなものだ。赤い丸看板がトレードマークで、なかにはバスを改造した「動くニッカバー」もあった。ある銀座の「ニッカバー」では水割りとハイボールが60円。ベースのウイスキーは『ハイニッカ』であった。ウイスキーはハイカラな飲み物ということと、ニッカという名称があることで、安心して入れるということも手伝って、「ニッカバー」は瞬く間に増えていったのである。
現在でも営業している「ニッカバー」は品揃えこそ変わったが、ニッカを愛してくださる方々の気持ちは昔と少しも変わっていない。つくり手として、これほど嬉しいことはない。
今年誕生した「ニッカブレンダーズ・バー」だが、あの当時、次々とオープンした「ニッカバー」を彷彿とさせるところがある。大きな違いは、そこでブレンダーがウイスキーについて語るということだ。これまにない試みではあるが、バーというリラックスした場所で飲み手であるお客様の反応、表情にふれる機会があるというのは素晴らしいことではないか。ひたすら研究室で、日々、ウイスキーと向かい合い、テイスティングを行なっているだけでは気が付かなかった何かを発見できるのではないだろうか。
また、月替わりで提供される前代未聞の『マンスリーブレンダーズ・ウイスキー』は、ブレンダーの個性が前面に打ち出される、ある意味、特殊な部類のウイスキーである。私にもウイスキーの中で特に好きな香りというのがあって、思うままにブレンドしても良いと言われれば、その香りの要素が含まれた原酒を使用するに違いない。口当たりはまろやかで、飲みやすいものがいい。そう、この前代未聞のウイスキーには、ブレンダーの個性が香りや味で表現されているのだ。
「ニッカブレンダーズ・バー」のカウンターに座ってボトル棚を眺めてみると、『スーパーニッカ』、『鶴』、『竹鶴』、『余市』、『宮城峡』・・・これまでニッカウヰスキーがつくってきたウイスキーがずらりと並ぶ。1本1本に思い出があり、記憶に刻まれていた香味がふっと甦ってきたりする。どれも透明な蒸溜液から始まり、熟成の眠りにつき、原酒の個性に合った順路を歩んで1本のウイスキーへと成長する。すると琥珀色に輝く棚は、70年の歳月が凝縮された図書館のようだとも感じたりする。
政孝親父が、このバーにやって来たらおそらくは「難しい薀蓄はいらんぞ。自分が好きなウイスキーを楽しく飲めばいいんじゃ!」と笑うに違いない。バーは人をくつろがせる場所、そして自由に楽しめる空間であればよい。私もフラリと「ニッカブレンダーズ・バーに」立ち寄ったときには、好みのウイスキーをゆっくりと楽しみたいものだ。
