「到着の時」Love for sale&宮城峡
やはり昨夜のうちに切り出しておくべきだった。
嬉しそうに引っ越しの荷物を詰める彼の背中を見ていると何も言えなかった。
いつからこんな風に何も言い出せなくなってしまったのだろう。
言いたいことを言い、喧嘩をして、仲直りする。
それだけの時間が私たちにはいつもなかった。
短い時間しか一緒にいられないからと、つい我慢する癖に慣れてしまったのだろう。
私を気遣ってくれたのか、夫はグリーン席を予約してくれていた。それでも、長時間一緒にいるのは気詰まりで、飛行機で帰りたかった私は彼の気遣いを嬉しいと思えなかった。
私と別れたら、彼は義母の所に住むだろうか。私があの家から出て行っても構わない。まだ当分パートは続けられるだろうし、小さなアパートくらいなら家賃も払えるだろう。
普段乗り慣れないせいか、グリーンの座席は広すぎて落ち着かない。静か過ぎるせいもあるのだろうか。隣はパソコンを広げているサラリーマン。前の座席は芸能人だろうか、帽子を目深にかぶりサングラスをして、席に座ったとたんに眠ったようだ。
「お弁当はいるかい?」
夫は昨夜からはしゃいでいる。おなかがすいていれば、お弁当くらい自分で買えるのに。
私が変わってしまったのだろうか。夫に悪意がないこともわかっている。けれど、彼は「自分が素晴らしいと思っているものは、他人にとっても素晴らしいに違いない」と信じて疑わないところがある。昔からそうだった。
コーヒーを飲みたいな、と思っていたら、夫がウィスキー水割りを買ってくれた。どこか覚えがあるような味がするのは、私が家で飲むウィスキーと同じメーカーなのかもしれない。
私の最近の楽しみのひとつは、眠る前に頂く一杯のウィスキー。
自治会の旅行で行った仙台で、ウィスキーの蒸溜所を見学した折、試飲させてもらったお酒があまりに美味しくて、それ以来眠る前に一杯だけいただくのが習慣になっている。
仙台への旅行は本当に楽しかった。殆どが女性ばかりで、誰にも気遣うこともなく、あんなに笑った旅行は初めてだった。東北の海の幸、山間の温泉、ウィスキーの蒸溜所は自然の中にあって、とても気持ちのいい場所だった。その「宮城峡」というお酒の香りを吸い込むと、あの楽しかった旅行が思い出されて、幸せな気持ちになる。
夫が帰ってきたら、そんな時間ももうないかもしれない。しばらくは・・・。
愛情がなくなった、というのではない。愛情はずい分前からなくなっていたと思う。夫婦が長年寄り添えるのは「愛着」なんだと思う。だから私は昨夜、夫に離婚を切り出せなかったのかもしれない。けれど、その愛着さえも私にはもう必要ないものだ。
富士山が反対側の窓から青く見えている。
あの時、あの富士山を見て私は気づいたのだ「私はあの人をもう必要としていないのだ」と。
10年ほど前、夫と娘が一緒に暮らした時期があった。
「お父さん、浮気してる。絶対してると思う。あんな歳して不潔よ。
あんな人ともうこれ以上一緒に暮らせない!」
娘からの突然の電話。
娘の動揺は激しく、かなり感情的になっているようだった。
「お母さん!何とも思わないの?お母さんがいけないのよ。
お父さんをひとりにしておくからよ!」
そうかもしれない。私は娘から夫の浮気を告げられても、何も感じなかった。少し前からそんな感じもしていたし、だからといって、いまさら何をどうするつもりもなかった。
「とにかく、明日、そっちへ行くから。お父さんには私が行くこと黙っておいてね。」
そういって、岡山から東京へ急いだ。
ずっと気になっていたのは娘のことだけだった。就職したばかりで、気持ちも不安定だろう。こんなことで彼女の人生に暗い影を落としたくはない。どう慰め、どう納得させるか、それだけをずっと考えていた。
娘の事だけを考えながら、ぼんやりと外を眺める私の目に、富士山は突然現れた。その瞬間「私はあの人をもう愛していない」と心の中で明確な言葉になった。
あの時、私は夫のことなど考えていなかった。自分のことも考えていなかった。許せないとか嫉妬とか、そういう感情も生まれなかった。私は夫に興味も執着もなくなっていた。
あれから娘が嫁ぎ、息子も就職をした。
娘が結婚するまで。息子が就職するまで。あの人が定年になるまで。それまでは「離婚」を我慢しようと言い聞かせ、この何年かを過ごした。
先延ばしにしていたゴールの次はもうない。決めてしまっている事なのに、決めたことをいつ言えばいいのだろう。
夫は、長いサラリーマン人生から解放されて、本当に嬉しそうにしている。
そんな夫をみているだけで、私の心の中で苛つくものがあるのは、本当にもうやり直せないということだ。私も彼から解放されたら、きっと軽い気持ちになれるだろう。
夫と話すのがイヤで、グリーン席の車内放送を聞いてみる。彼は少し酔ったのか饒舌になり、定年祝いにもらったi-podを見せてその機能を説明している。
画面に「Love for sale」というタイトルが出る。
日本語にすると、「愛売ってます」ということだろうか。私にもう売るほどの愛はない。この曲の「愛」は多分「一晩の愛」という意味だろうが、それにしても「愛」は「愛」だ。
でも、夫には「愛」が必要かもしれない。もしかしたら、新しい誰かが彼の愛を受け入れてくれるかもしれない。まだ彼だって若いのだ。そう思うと私も気が楽になれる。
夫は私の秘密も知らずに、楽しそうに話しかけてくる。
曲のタイトルが「You don’t know what love is」という文字に変わった。
「あなたは、愛というものがどんなものか知らない」
i-podに話しかけられているみたいで、可笑しい。
夫はこの曲のタイトルを見てどう思ったのだろう。きっと「自分はちゃんと分かっている」と勘違いしているに違いない。けれど、私も「愛」というものが結局どんなものなのか、知らないのだろう。そのためにも、自分を愛することからやり直したいと思う。
これからは本当のそれぞれの人生を生きなくてはいけない。
もうすぐ終着駅。
もう先延ばしにはできない。
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