「I miss you 」You are so beautiful & 余市
想像した通りだった。
年齢の割には派手なドレス。安っぽいピアスとイミテーションのじゃらじゃらしたネックレス。腕には細いバングルを何重にも着け、東洋人にありがちなメイクとおかっぱの髪型。
「何が好み?」
カウンターに座ると、中からカーネル・サンダースを痩せさせたような初老のバーテンダーに聞かれた。
カウンターの向こう側の壁一面にウィスキーやスピリッツのボトルが並べられている。
眺めていると日本語が目に入ったので
「YOICHI アンド ウォーター」とオーダーした。
バーテンダーは軽くウィンクして、「OK」といい、氷の入っていない水割りを目の前に置いてくれた。
「あなたは日本人?」
「ええ。」
「観光?ジャスは好き?NYは初めて?
今日のボーカリストは日本人だよ。」
と教えてくれる。
「YOICHIはいい酒だよね。フェイマス、ジャパニーズウィスキー。
ニューヨークでも人気があるよ。」
よくしゃべるカーネルだ。或いはNYのバーではみんなそうなのかもしれない。初めてだからわからない。
こんなジャズクラブに日本人の女の子が一人で来るのは珍しいのだろう。
セカンドステージは始まっていた。
あの人はこんなにハスキーな声だっただろうか。
声なんて覚えていなかった。
ピアノと二人だけのステージ。ライトを浴びているせいか、それほど惨めな暮らしをしているようには見えない。それどころか、美しくさえ見える。
20年ぶりのあの人。
最後にあの人の後ろ姿をみてからもう20年も経った。10歳だった私は、あの人が出て行った歳と同じ30歳になった。
あの人が出て行ってから、私たち父子はまるで最初からあんな人はいなかったかのようなふりをして暮らし、あの日以来、あの人の話をしたことはない。
5年後に父も再婚し、余計に私の生母の話はタブーになった。
でも、あの日のことを私は忘れたことはない。
「ママ!行かないで!お願い!いい子にするから連れて行って。」
あんなに頼んだのに、あの人は行ってしまった。
父はずっと黙っていた。私はその日ずっと泣いていた。もう母には会えないとなぜか分かっていた。
胸が半分見えるようなドレスで、曲の合間にあの人は客と何かを話し笑っている。自分の心が幼い頃の心に支配され、過去の憎しみだけが思い出される。
「おかわりは?」
いつの間にかグラスを飲み干していた。
「同じもの。」
カーネルがにこっと笑って私の空いたグラスを下げる。
「いいお酒を飲むときはね、楽しいことを思い出すもんだよ。」
2杯目をコースターに置きながら、カーネルが言う。やはり暗い顔をしていたのだろうか。そんなことを言われても、あの人を見ながら「楽しいこと」なんて思い出すわけない。心の中でつぶやきながら、仕方なく愛想笑いをしておく。
あの人はピアノに寄りかかりながら、伴奏をしている細い男と次の曲を相談しているようだ。伴奏している男は取り立てて特徴のない演奏をし、取り立てて特徴のない顔でまっすぐにあの人だけを見ている。あの人に従順に従う召使のようだ。
一瞬、ピアノに寄りかかっているあの人がカウンターにいる私をちらっと見た気がした。
まさか気づくはずはない。顔だって全然似ていない。東洋人だから目立つのだろう。そう思いながらも、気づかれたくなくてステージを見ずに、カウンターに置かれた「余市」のボトルを見ていた。
「次の曲は私の一番愛する人に。」
という曲紹介で、ピアノの男が嬉しそうに恥じらいだのを見て、あれはあの人の今の男なのだ、と気づく。
彼は褒められた子供のようにあの人を見つめながら弾き始めた。
長いピアノの前奏があって、彼女が唄いだす。
「you are so beautiful to me」
その時、あの人が突然私を指さした。
まっすぐに私を見つめて、まっすぐに私を指さしながら、そのフレーズを唄った。
それは一瞬で、あまりに自然な仕草だったから、その事に気付いたのは私と、ピアノの男だけだっただろう。私を見て、微笑んで、それからあの人は視線をそらせた。
のどが締め付けられて、涙があふれそうになる。泣きたくなくて、思わず酒を飲み干してごまかした。もうあの人を見られなかった。
カーネルも気づいていたのだろうか。じっと私の方を見ていたようだった。そして、開いたグラスの代わりに水を置いてくれた。その水も思わず飲み干すと、水を注ぎ足しながらカーネルが簡単な単語を使って話しかけてきた。
「お嬢さん、このお酒は20年樽で眠っていたお酒です。この20年の間にあなたに起こった悲しいことも楽しいことも全部知っています。もしも悲しいことがあったなら、この酒を飲むといい。きっとお酒が楽しかったできごとをあなたに教えてくれる。楽しいことがあったときは、この酒で祝ってください。あなたにとって、その時間が大切なものになります。」
そういうと、カウンターの上にあった半分くらいまだお酒の入っている余市のボトルを私に差し出し、「プレゼント フォー ユー」といって渡してくれた。
周りの人はみんな大人で、私だけが子供だといわれている気がした。
私にだって分かっている。
あの人がなぜ、あの時私を捨てなくてはいけなかったのか、捨てないといけないと、なぜ思いこんだのか。
あの日まで母は本当に私を愛してくれていた。洋服を作ってくれたり、指人形を作って二人で遊んだり、いつも私の側にいて愛してくれた。あれは嘘ではなかったと分かっている。
私のことを愛していたから、私を捨てなければいけなかった。そうでなければ、踏み出せなかったのだろう。けれど、子供を捨ててまでなぜ自分の夢を追わなければいけなかったのか、分かりたくない気持ちの方が強い。母は私のことよりも自分自身のことを愛したんだと思う。そんなことに嫉妬するなんて子供の思い上がりかもしれない。でも、母が好きだった。大好きだったから、捨てられて悲しかった。そのことを乗り越えたくてここまで来たのに。
会いたかったわけじゃない。自分の中の捨てられた子供と決別したかっただけなのに。
母はそんな私の気持ちさえも分かっていたのだろうか。いつか私が訪ねてくると思っていたのだろうか。
あの人は、私がこのカウンターに座った時から、私がいることを分かっていた。
母のようにはなりたくない。でも、母のように生きてみたい。
もらったボトルを抱えて外に出ると、ニューヨークの喧騒だった。
こんな街で独りで生きていけるほど、まだ私は強くない。
母はカーネルに私のことを尋ねるだろうか。
本当は素直に言ってみたかった。
「I miss you」
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