「20年後のメッセージ」 この素晴らしき世界 & 余市20年
妻と母と娘が海外旅行にでかけた為に、私と息子はそれぞれの家の犬と猫のために留守番をすることになった。
我が家には犬が、実家には猫がおり、猫の方が散歩をする必要がない分、世話が楽だろうと、息子に実家を託そうと思っていたが、この猫が普段年寄りと暮らしているせいか若い人間にはなつかない。この猫の習性を知っている母は、私に実家に泊まり込むよう言い残し、三人で陽気に南の島へと旅立っていった。
実家に一人で泊まるのは何年ぶりのことだろう。もしかしたら、父が亡くなって以来だろうか。
いつの間にか「よその家」になってしまった実家で、猫に餌を与えてしまうと、もう何もすることがない。
かつての自分の部屋は物置部屋になり、居間でテレビを見ていても所在がなく、退屈しのぎに父が書斎にしていた部屋を開けてみる。
特に父を偲んでという理由ではないだろうが、父の部屋はそのまま手つかずで残してある。多分片づけるのが面倒なのだろう。ここ何年も、年末になると「お父さんの部屋を片づけてよ。」と母から言われていたのだが、この部屋に入ると、つい父の残した色んなものを眺めるだけで終わってしまい、結局整理しないままになっている。
父の部屋には古いスライド機がある。建築家になりたかった父は、海外出張の度に現地の建物などのスライドをおみやげとして買い、時折、壁に映写して眺めていた。昔はそういう観光みやげ用のスライドなんていうものも売られていたのだろう。家庭用ビデオなどが売られる以前の話で、その頃は、写真か8ミリくらいが記録を残す唯一の物だった時代だ。
口数の少ない人だった。感情を表に出すことも少なかった。進学や就職の相談をしても「お前の好きにすればいいんだ」とムッとした口調で言い、そこにはなんとなく「男なら自分の事くらい自分で決めろ」と言われているような雰囲気があった。
病に倒れてさえ「死ぬのは最後の仕事だ」と弱音も吐かず、何も言い残すことなく逝ってしまった。
部屋を暗くしてスライドを映写してみる。昔の機器は単純なせいか、壊れにくく、大きなファンの音を立てながら、うすぼけたノートルダム寺院を映し出す。
部屋に置いてある椅子に座ると、鑑賞するのに丁度の位置に目線が来るようになっていた。
父はこの写真を見て何を思っていたのだろう。
父は50歳で亡くなった。自分がその歳に近づいてきて改めて「早い死」だったのだと感じる。
ウィスキーの好きな父だった。
自分の死期を感じていたのだろう、通夜の夜にニッカウィスキーが30本届き、そこに父の筆跡で「私の為に一人一本飲むように」とメッセージが添えられていた。父の友人も親類もそれを見て泣き、泣きながら酒を飲み、翌日の本葬は皆ひどい二日酔いだった。
あれは父の仕組んだ「洒落」だったのか、と法事の度に思い出として語られる。ハードボイルドな性格の割に、細やかな神経を持った男だったと。
私は25歳だった。就職した歳だ。就職してすぐに地方に赴任が決まり、実家から離れて暮らしていた頃。仕事、人間関係、初めての土地、そして父の死。ジェットコースターのような数年だった。その後、結婚をして実家の近くへ戻り、子供ができ、長かったような、短かったような20年だった。
老女の一人暮らしに酒の買い置きなどないだろうと、近所で酒を買い、スライドを見ながら飲み始める。
父の印象がそうさせるのだろうか、「余市」を一本買い求めた。
父と酒を飲んだこともあったが、就職してすぐに逝ってしまったせいで、本当の「男同士」の酒の酌み交わしをすることはなかったと今頃気づく。
もし、生きていたらどんな話ができたのだろうか。生きていれば70歳。定年を過ぎ、「仕事とは」「家族とは」・・・そんな話が聞けただろうか。
壁に大家族と貧しい小さな家が映る。南米へ行った時のものだろうか。これは父が撮った写真に違いない。祖父、祖母、父、母、小さな子供、中に緊張した面持ちでカメラを睨む少年がいる。
父はこの写真を撮ったとき、この少年を見て日本にいる私を想ってくれただろう、と確信する。言葉にするのは下手だけれど、とても家族思いの人だった。
父の部屋には旧式のレコードプレーヤーもある。それほど多趣味な人だった印象はないのに、この部屋は父の小さな宇宙として完結している。
コンセントを差し込みスイッチを入れ、20枚ほどしかないLPレコードの中から1枚をターンテーブルに乗せてみる。
『この素晴らしき世界』がインストゥルメンタルで静かに流れ出す。
『グッドモーニング,ベトナム』という映画の中で、この曲が流れるシーンがある。
父の病気が発見される前のことだっただろうか、わざわざ会社に電話をしてきた父が、この映画を見ろと言ったことがあった。
終わりのない戦いに出発していく若い兵士達。「死ぬ」ことから逃げることのできない世界。主人公のDJはこの曲を出発していく兵士たちに捧げる。
「生きる」ということの切なさと歓びがこの曲には溢れている。
死を身近に感じ始めたからこそわかる「この世界の美しさ」。
涙が流れた。
父はうすうす、自分の病を知っていたのかもしれない。それでわざわざ、私に電話をしてきたのかもしれない。
あの頃は気づけなかった父からのメッセージが、今は感じられる。
それはとてもシンプルで、だからこそ伝えにくいメッセージだと、父の年齢に近づいてやっと分かった。
父は「生きろ」と言いたかったのだ。
「生きて、この世界を感じ続けろ」と。
泣きながら酒を注ぎ、ふとラベルを見ると「20年」と書かれていることに気づく。この酒は父の亡くなった年に樽に詰められた酒だったのだ。
こんな偶然の中に、生きることの意味が隠されているのかもしれない。
この酒が吸い込んで来た時間の向こう側に父が見える。
父はいまでも、どこからか私にメッセージを送ってくれている気がした。
父が逝った歳まであと5年。
5年後、私は生きているだろうか。父から贈られたメッセージを、私は子ども達に残せるだろうか。
心の中でつぶやくと、いつの間にか猫が足元にすりよって来て「みゃあ」と鳴いた。
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