「旅先のジャズクラブ」 バド・パウエル&シングルカフェモルト
旅に出ると必ずジャズクラブに行くことにしている。
海外の非日常の中で、懐かしいナンバーに出会えるのは心地よい郷愁を誘う。
映画「ラウンド・ミッドナイト」の舞台になっているパリの「ブルーノート」。てっきり私はパリにもブルーノートがあるものだと思っていた。
しかし、ガイドブックのどこを見てもそのようなジャズクラブは見あたらず、映画の中だけの名前なのだ、と今更ながら単純な自分を笑った。
パリではバスティーユにあるジャズクラブにふらりと入り、若いのになかなかいい演奏を聞かせるバンドと出会った。不思議なことにどんな国でもジャズクラブはあり、運がよければなかなかいい演奏に出会うことができる。
昔はジャズなんて大嫌いだった。それが変わったのはある映画がきっかけだ。「ラウンド・ミッドナイト」。
その映画の中には、「親父」がいた。
親父はジャズドラマーだった。
かつて進駐軍がいた頃には、それなりに花形のミュージシャンだったらしいが、私が知っているのは、いつも酒を飲んでいる親父の姿だけだ。
親父も映画の主人公と同じアルコール依存症だった。
若い頃はこの「アルコール依存症」というものが理解できず、酒に対する嫌悪感だけを募らせていた。親父には「レディ・フランシス」は現れなかった。
酒を飲むようになったのも、親父が死んでからだ。
毎日、日銭を稼ぐだけの親父は、一家の大黒柱というよりも、小遣いを与えなくてすむ扶養家族のようなものだった。母が一人で働いて私たち兄弟を学校に行かせてくれた。
親父から教わったことは何もない。
ジャズさえ聞かされたことも、教えてもらったこともない。死ぬ数年前からは女ができて、一緒に住んでさえいなかった。
バド・パウエルをモデルにしたというこの映画のおかげで、私は少しだけ親父を許すことができたと思う。
バドもひどいアルコール依存症だった。親父はバドほどの才能には恵まれなかったが、演奏している時以外は、酒を飲ませろと言っては暴れ、酒を飲んでは暴れた。
そんな親父でも楽器だけは大事に扱っていた。「ラウンド・ミッドナイト」に出てくるトニー・ウィリアムズが使っていたのと同じ黄色のドラムセットだった。もしかしたら父はトニーに憧れていたのかもしれない。映画を見るまではそんなことを思うこともなかった。
バンドマンというのは厄介な生き物だ。
毎日毎日繰り返されるセッション。その瞬間に集中力を使い切りながら、より「すごいもの」が現れてくるのではないかと己に期待する。
上手くいった日は祝杯を上げ、ダメだった日にはやけ酒を飲む。自分への期待が大きすぎて、プレッシャーに負けそうになる。また酒を飲む。音楽以外に器用にできることは何もないから、時間を持てあまして酒を飲む。依存症にならない方が不思議だ。
有名なミュージシャンでなかった親父でさえ同じような生活だった。
ジャズには、あのダメ親父も目指していただろう「瞬間の頂点」がある。きっとあの「瞬間の頂点」を体験してしまうと、その体験自体に中毒になってしまうのだろう。リスナーの私でさえ、そのような演奏を聞くと「もう一度あんな体験をしてみたい」とジャズクラブに通うようになってしまうのだから。
それは、サッカーで美しいゴールを待つ気持ちに似ている。毎回そんなすごいゴールシーンが見られるわけではないのに、人はその瞬間を期待して、90分間じっとフィールドを見つめ続ける。
ニューヨークでやっとブルーノートに行くことができた。グリニッジ・ビレッジは昼間に歩いた時とは違う顔になっていた。ニューヨークには「ニューヨークの夜」という別の一日があるみたいだ。
禁煙のホールでロン・カーターを聞く。今日はあまり調子がよくないのだろうか、演奏はありきたりだった。ロン・カーターという生きた伝説を見られただけでいいのかもしれない。
もうそこには古き良きアメリカもなく、怠惰な生活を送るバンドマンの姿もなかった。もちろん、ストリートガールも、売人もおらず、「ジャズ」というジャンルの音楽を演奏している音楽家がいるだけだった。
結局はどこかに親父の姿を探しているのだろうか。
怠惰で不健康なジャズメンがいい演奏をするとは思わないけれど、心の弱い人間だからこそ出せる音があるのではないか、と最近は思う。
清く正しいロン・カーターを眺めながら、日本に帰ったらバド・パウエルを聞いて、ウィスキーを飲みたいと思う。
時差ぼけで眠れないだろう3日後。
私はきっと自分の部屋でバドを聞きながら、ついドラムの音を追っているだろう。親父も「クレオパトラの夢」を演奏しただろうか。あれほど早くは叩けなかったに違いない。けれど、演奏中に起こる「瞬間の頂点」を夢見ながら、ブラシを握っていたのだろうか。
いつも思うそんなことを考えながら、私はシングルカフェモルトをロックで数杯飲むだろう。
バドを聞くときだけ、飲むことにしている限定販売の酒だ。それをひとりゆっくり飲む自分の家が、私にとって一番親しい日本のジャズクラブになる。
バドにもしも子どもがいるなら、一度会ってみたい。
売れたにせよ、売れなかったにせよ、ジャズミュージシャンを父親に持つ苦労を話してみたい。
もっと早くにジャズを愛せていたら、或いは私が親父の「レディ・フランシス」になれただろうか。
バドに、初めて黒人の大統領が誕生したと教えてあげたい。
親父に息子はジャズ好きになり、酒を飲むようになったと許してあげたい。
けれども、もう彼らはいない。
日本に帰る前に、もう少しスリリングな演奏を求めて、ダウンタウンを歩いてみよう。偶然に「瞬間の頂点」に出会えるかもしれない。
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