余市蒸留所写真 余市蒸留所写真

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第10話

第10話

やがて数時間後、満面の笑みを浮かべてもどってくるのである

古い写真を整理していたら政孝親父の懐かしい写真が出てきた。大きな熊の剥製を傍らに、自慢げに佇む姿、積丹半島の沖合で釣り上げた、1メートル10センチものオウヨ(スズキ科の魚で学名はイシナギ)との記念写真。そのなかの数枚には自筆のサインが書かれ、随分な量、焼き増ししてあった。そういえば、「おい、これをたくさん焼き増ししておいてくれ」と言われたのを思い出した。知人に配る為だったのだろう。私は余市蒸溜所の研究室(現在はリタハウス)に作った現像室でせっせと焼き増しをした。薬品を調合して現像液を作り、丹念に仕上がりを見ながら水洗いする。これが足りないと写真はあっという間に黄ばんでしまう。

熊狩りも釣りも、いつもといって良いほど勝率が良かった。その秘訣は猟師と漁師からの情報であった。「そろそろ良い獲物がヒットしそうだ」と電話連絡があると、政孝親父は急にそわそわしてきて、いてもたってもいられなくなり森や海、余市川へすっ飛んで行く。やがて数時間後、満面の笑みを浮かべて戻ってくるのである。

ある日熊狩りに行ったとき、政孝親父が2匹の小熊を抱えて帰ってきた。まだ赤ん坊で、ぬいぐるみのように愛らしかった。哺乳瓶でミルクをやると、すさまじい勢いで飲む。その食欲たるや想像を絶するほどで、2匹は すくすくと育っていった。いよいよ家では飼えないところまで成長したところで動物園にひきとってもらったのだった。

オウヨは1メートル10センチ、32キロの大物だった。オウヨ釣りには2メートルあまりの小さな磯舟で出かける。餌は生きた烏賊で、針から2メートルくらい細い針金を使った釣り紐を使い、水面から100メートルほど降ろす。釣り上げるまでに2時間もかかったが、念願の獲物を手に入れた政孝親父は大喜び。蒸溜所へ持ち帰ると従業員からは驚きの声があがった。オウヨは刺身や煮物にして振舞われたが、とても脂がのっていて美味しかったのを覚えている。

電話がかかってきてすっ飛んでいく先は他にもあった。靴屋や歯科医、旅館の主人から碁に誘われるのである。負けそうになると喧嘩ごしになり「その手はずるい!」と怒るのだが、相手はルール違反をしている訳ではないので抗議しても当然ながら却下されてしまう。それでも帰り際には「お邪魔致しました」と丁寧に挨拶をして別れるので友情にひびが入ることはなかったが、とにかく負けず嫌いな性格は碁に限らず、何処ででも発揮されていた。あるとき靴屋の主人と碁を打っていたときのこと。政孝親父は「おい、ウイスキー持って来い」と言った。自宅ではなく靴屋の主人のところで、である。これも親父の専売特許のようなもの。他人の家であってもウイスキーが飲みたいときは「おい、ウイスキー持って来い」なのである。すると生憎ウイスキーが切れており、靴屋の主人は家の人にウイスキーを買いにやらせた。やがてウイスキーが出てくると、それはニッカウヰスキーのものではなかった。政孝親父が文句を言うと「政孝さん、あなただって今日はうちの靴を履いていないじゃないですか」と主人が言い返し、大爆笑になったという。

碁、というと縁側などでのどかに打つものだというイメージがあるだろうが、碁の手はコンピューターでも完璧に解析することはできないほど難解だと言われている。これはウイスキーの熟成にも通じるものがあるのではないか。同じ日に蒸溜し、似たような樽に詰め、同じ貯蔵庫、しかも隣同士で熟成させても、全く同じに仕上がることはない。そこに人の技=ブレンド・ヴァッティングが加わることで品質が安定するのだ。

ひょっとしたら、政孝親父は碁を打ちながら貯蔵庫で眠るウイスキーの “次の手”を考えていたことがあったかもしれない。