余市蒸留所写真 余市蒸留所写真

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第27話

第27話

机上に一枚の写真

政孝親父は会社に親しい来客があり、話が弾むと決まって「おい、ウイスキーを持って来い」と言い、ウイスキーの水割りを振舞った。ウイスキー1に対して水が2、氷は使わない。「昼間からウイスキーを飲んで歓談して。とても楽しかったのですが、そのあと仕事にならなかったことがありましたよ」と苦笑するお客様も少なくなかった。

自分がつくったウイスキーの品質には絶対の自信を持っており、「いいものは高くて当然じゃ」「この良さがわからない人には売ってもらわなくて結構」ということをお得意様の前で堂々と喋ることもたびたびで、周囲をハラハラさせたものだ。

しかし、宴会ともなると座持ちの上手さは驚くほど格別で、客への細かい気配りを忘れない。「どうやっておもてなしをすれば先方は喜んでくださるだろうか。何を召し上がっていただこうか」と随分前から計画を立てることも多かった。余市にいた頃は、お客様に出す魚のことを直接、漁師に相談しに出かけていた。

また「せっかくだから意外性があったほうが面白い」と海岸に丸太づくりの小屋を建てて桟敷を作り、獲れたての魚を振舞うこともあった。ただ、屋外なのでハエが寄ってくる。政孝親父が大声で「おい、うちわを持って来い!ハエを追い払え!」と怒鳴り、皆で大爆笑したものだ。

積丹半島の美国にある網元が始めた料理屋で宴会をやるときは、漁師が見事な節回しでソーラン節を披露、お客様から拍手喝采を浴びた。すると、その漁師がこんな話をしてくれた。「ソーラン節は網おこし音頭なんですよ。漁に出ていて夜明けともなると眠くて仕方がない。そこで、ソーラン節の替え歌を歌って皆を笑わせて網を引くんです。そうすれば眠気も飛んで元気が出る。まともな歌など全然歌いませんなぁ」

釣り好きな政孝親父は、船に鍋釜を積み込んで積丹半島まで繰り出し、自分で釣った魚で磯鍋を囲むこともあった。ある日、海岸に船を着けようとしたとき、「ここは禁漁区域だから船は着けないでくれ」と漁師に止められたことがあった。ちょうどウニや鮑が獲れる時期であった。「いやいや。漁をするつもりはない。船を着けるだけだから」と言い、その漁師にウイスキーを渡すと「船を着けるだけなら」と承諾してくれた。彼はその場でウイスキーを飲み、岩場を歩いている私たちに向って「そっちへ行っても何も獲れんぞ!こっちだ、こっち!」とご機嫌でウニや鮑がある場所を指差し始めた。今だから白状するが、私たちはウニや鮑がたっぷりはいった鍋を堪能したのである。

そんな政孝親父が懇意にしていた人物に池田勇人元首相がいた。池田氏は政孝親父の中学の5年後輩で、同じ寮で生活してたことがあったという。「当時、竹鶴さんは寮長で、いつも竹刀を持って歩いていて怖いという印象があった」と池田氏が懐かしそうに話されていたことがあった。彼が病に倒れたときは、「北海道の美味しい物をお見舞いに送りたい。そうだ、ジャガイモなら食べられるだろう」と、政孝親父は特別に選んだ北海道のジャガイモを、病床の池田氏が少しでも食べられるようにと祈りを込めて送った。

会長室の机上に1枚の写真が飾られていた。その中には池田勇人元首相、サー・アーサー・ギルビー、アサヒビールの山本為三郎社長、そして、政孝親父の4人が写っていた。これは昭和38年、ギルビー社との提携記念に開かれたパーティー会場で撮影されたもので、池田氏は現役の総理大臣で総選挙をひかえて超多忙であったにもかかわらず、パーティーに顔を出してくださったのである。しかし、いつも大切に飾っていた写真が、ある日突然なくなってしまった。一体何処へ行ってしまったのだろうと従業員が大慌てて探したが見つからない。実は、政孝親父が自分で引き出しに入れたのだった。親父はある社員にこう言ったそうだ。
「ああ、あれか。あれはワシが引き出しに入れた。なぜか分かるか。この写真のうちワシを除く3人、みんな死んでしまった。写真を見ると寂しくなってな・・・」

今頃、政孝親父たちは、4人そろって賑やかにウイスキーを飲んでいるに違いない。