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第33話

第33話

世界一周旅行

今でこそ珍しくなくなった海外旅行だが、今から53年前、昭和27年に40日かけて世界一周をしたことがあった。

旅客機は4発(エンジンを4個搭載した)プロペラ機。日本の航空会社は海外便がなく、確かフィリピン航空で出かけたのではなかったか。機内は今のように大人数で搭乗するわけではないので、座席はゆったりとしていて、乗り心地はまあまあだった。

マニラ、カルカッタ、ボンベイ、テルアビブ、ローマ、ベルリン、マドリード、そしてパリ、ロンドンと周り、最後はアメリカへ、というコース。4~5時間おきに給油しなければならないので、乗ったり降りたりの繰り返しだった。

印象的だったのはヨーロッパ各地に残されている遺跡、現在の世界遺産の数々である。イタリアはナポリの南にあるポンペイ遺跡は、約1900年前ベスピオ山の大噴火によって火山灰の下に埋もれてしまったローマ時代の都市遺跡だが、当時の人々のいきいきとした生活を彷彿とさせる建物が残っていた。ポンペイで最も古いといわれるスタビアーネ浴場やコロッセウム、フレスコ画はいかにポンペイの文明が豊かであったかを物語っていた。

スペインのバルセロナにあるアントニオ・ガウディの代表作、サグラダファミリア聖堂は1882年に着工したにもかかわらず、ガウディ亡き後も建築が続いていた。私はこの建築物にウイスキーづくりとの共通点を見出した気がした。それはどちらも歳月をかけて、少しずつ進化していくということだ。

より良い品質の物を求めてウイスキーは醸され、熟成され、ブレンドがなされる。先人たちの技術を受け継ぎ、ウイスキーは永遠に生き続ける。サグラダファミリアが完成しても、それは終わりではない。様々な国が、人々がこの聖堂に刺激され、感動して、新たな建築物や芸術を生み出す動力源になりうるからだ。

この旅行の目的の一つにカメラの購入があった。ドイツはベルリンのカメラ店で念願の『ローライフレックス』を買った。これは1929年、ドイツで誕生した二眼レフカメラで、ファインダー用ビューレンズと撮影用レンズが二段重ねになった独特のデザインが特徴。

この『ローライフレックス』は今でも現役で、時々撮影に使っている。勿論、写真の上がり具合に不足はない。驚くべきはその機能で、これまで一度も修理に出したことがなく、注油もしていないのだ。「自分たちが作り出したものが世界一である」という確固たる自信を持つドイツ人気質の化身とでも言おうか。決して安い(値段は忘れた)買い物ではなかったが、買ってよかったと今でも満足している。

パリでは「すき焼きの店がある」ということで、タクシーに乗ってその店まで出かけていった。食べた感想は「不味いが旨い」。久々の日本食が懐かしくてたまらなかったが、何せ戦後であるうえに、遠い異国・フランスである。醤油がなかったのだ(合成醤油を使用していたように思う)。醤油があれば美味しい割り下ができたに違いないが、とても思い出に残る味であった。

食事といえば、この世界一周旅行から11年後の昭和38年、政孝親父とカフェ式連続蒸溜機を導入するためにスコットランドへ行った帰り、香港に立ち寄ったときのことだ。政孝親父は、海外へ行くと「中華料理にしよう」とよく言っていたのだが、長旅を終え、いよいよ帰国というとき、突然、政孝親父が「ラーメンが食べたい」と言い出したのである。これには慌てた。同行した仲間と「もうドルは遣わないだろうから、ドルを円に換えてしまおう」と、1ドル400円で両替したあとだったから小銭しか残っていない。何とか小銭をかき集めてラーメンを食べることができたのだが、あのときは冷や汗をかいた。ラーメンとは和式中華で、中国では通用しない。結局、あっさりしたにゅうめんのようなものにありついた。そして帰国後「何を食べたいか」と聞かれ「洋食を食べたい」と答えたら大笑いされた。

世界一周旅行の話に戻るが、イギリスに立ち寄ったときはリタおふくろの妹・ルーシーが、伯父を伴ってロンドンまで会いにきてくれた。出発前に、リタおふくろが連絡しておいてくれたのである。「リタは今、どうしているのか?」「元気でいるのか?」といった近況報告のようなものから他愛のない話まで、食事をしながら楽しいひとときを過ごしたが、たびたび「リタおふくろが一緒だったら・・」という思いが頭をよぎったものだ。

そしてアメリカ大陸に渡ったとき、この旅行の招待者であるダグラス・マッカーサーに会い、会食をした。当時、海外旅行へは自由に出かけることができず、名目上「外国からの招待」であれば許可されるというものであった。会食の前に彼がスピーチしたのだが、何やらお説教めいた内容だったのを覚えている。

今からもう50年以上前の話だが、あの当時、世界一周旅行に出かけられたのは幸運であった。もし、もう一度出かけることがあったなら、同じ場所を巡ってみたい。一緒に年齢を重ねてきた『ローライフレックス』を携えて。