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第43話

第43話

「何が出来るだろうか」と考える

去年、今年と例年にない降雪量で、山田町から余市蒸溜所敷地内に移築した竹鶴の家(「旧竹鶴邸」)の半分以上がすっかり雪に埋もれている。
寒い冬にほっと心を和ませてくれる物のひとつに燗酒がある。昔は居酒屋などに“お燗番”がいて、彼等はやって来るお客様の好みを熟知しており、ほどよく燗がつけられた酒を絶妙なタイミングで出していたものだ。地味ながら、それはまさに職人技であり、接客のプロである。

新聞でちらりと読んだのだが、燗酒には、一度、50度まで温度を上げて、(徳利などの外側を)氷水で急冷して45度まで下げると美味いものもあるらしい。政孝親父も寒い晩は風呂上がりに燗酒を飲んでいたものだ。燗をした銚子二本を食事と一緒に楽しんだあと、ゆっくりウイスキーを味わう。床に就く頃には決まってボトル半本から一本が空になった。

ウイスキーといえば先日、英国大使館大使公邸で開催された『ウイスキーマガジン・ライヴ!』のレセプションに参加させていただいた。チーズとウイスキーの組み合わせのテイスティングが行なわれ、スコットランドからライヴのために来日した多くのパネラー陣も交えて、大変盛況な催しであった。残念ながら私は出かけられなかったのだが、2月12日に東京ビッグサイトで行なわれた『第6回ウイスキーマガジン・ライヴ!』には、約3、000人もの方々が来場されたそうだ。これもシングルモルトブームの影響であろう。東京や東京近郊からばかりでなく、北海道や九州から参加される方も多くいらっしゃるというから、ウイスキーづくりに携わる人間として嬉しい限りである。

ここ数年の世界のスコッチウイスキー消費動向だが、1位がフランス、2位がアメリカ、3位がスペインというのは意外な結果であった。ちなみにパリではニッカの『フロム・ザ・バレル』がよく売れているらしい。味わいの他に「ボトルのデザインが良い」「持ち運びが便利」という理由らしいが、デザインにこだわるという点はお国柄だろうか。

世の中にはいろいろな種類の酒があるが、ウイスキーは幅広い楽しみ方ができる酒ではないか。ストレートや水割り、オン・ザ・ロックなど飲み方は勿論、好きな銘柄やそれぞれのウイスキーの蒸溜所のこと等、バーやイベントなどで出会った人同士で情報交換をしたり、とりとめもなく語り合ったり、という面白さもある。

我々もただウイスキーをつくって売るだけではなく、いろいろな話題を提供することも大切だと思っている。例えば、1987年に始まった余市蒸溜所での『マイウイスキーづくり』、2002年から始まった宮城峡蒸溜所での『マイウイスキー塾』などだが、毎年、たくさんの方にご参加いただいており、中には「両方参加した」あるいは「幾度も参加した」という方もいらっしゃって、大変喜ばしく思っている。

また、ニッカウヰスキー青山本社の地下にオープンした『ブレンダーズ・バー』にはニッカの製品の他にも、ブレンダーたちのオリジナルブレンドウイスキーを提供したり、ブレンダーによるウイスキーセミナーを行なっている。私も久しぶりにブレンドを行ない、No・10の『マンスリー・ウイスキー』をお出ししたのだが、「飲んでいるうちに香味がじわっとしみてきて、何故か涙が出た」という感想を戴いたときは、「ああ、この仕事に携わってきて良かった」「同じウイスキーでも味わう人によって香りや味ばかりでなく“感じ方”も違ってくるものだ」と、こちらも強く胸にこみあげるものがあった。

最近では、「様々な情報や楽しみ方をもっと皆様に提供していきたい。そのためにことが多くなった。

実は『ブレンダーズ・バー』に『竹鶴34年』が置いてあるらしいのだが、この『竹鶴34年』は2年間だけ発売されて、現在では『竹鶴35年』に切り替えられている。34年物はもう手に入らなくなっているということで、いつか開封して皆様と一緒に楽しめたら、という話が出ているそうだ。

また、私の手元にある『ヘーゼルバーン』の5年物を、何らかの形でウイスキーファンの方々と分かち合うことが出来たらどんなに素晴らしいことであろう。ヘーゼルバーン蒸溜所は、かつて政孝親父が25歳のとき、リタおふくろとの新婚時代に3ヶ月間の実習をさせてもらった蒸溜所であるが、現在はもう稼動していない。この5年物はスプリングバンク蒸溜所で、ヘーゼルバーンそのままの仕込み方法でつくられたウイスキーである。ラベルには“TRIPLE DISTILLED”3回蒸溜、と書かれている。昔は設備や発酵の状態から3回蒸溜を行なうことが多かった。実は余市蒸溜所でも当初は3回蒸溜で、後に設備などの改良を行なって初溜と再溜の2回蒸溜となった。

ウイスキー一本がもたらす感慨や製法の歴史などは、実に果てしないものだ。この仕事を始めて60年近く経つが、「あれもやりたい」「これもやってみたい」という気持ちは年と共に深くなるようである。