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第52話

第52話

ニッカの会

昭和36年、札幌には既に一般のお客様方によるニッカ愛好の会「ニッカ会」があったが、創業の地である余市にニッカを応援する会がないのはおかしいという話が町有志の間で持ち上がり、集まって会をつくることになった。

余市駅前十字街、現在の黒川町に駅前郵便局があり、当時の局長が発起人となって発足。札幌と同じ「ニッカ会」にはせず、新鮮味を加えようと“の” の字を入れて「ニッカの会」と決めた。会員の資格は首長会の関連で“長”の肩書きがあることが唯一の条件。発足時の会員数は20数名程度であった。

会員はひたすらニッカを愛し、ニッカウヰスキーを飲んで楽しめば良い、ということで会を開いても堅苦しい挨拶は無し。自分の時間に合わせて自由に出席できるという気軽なものであった。偶数月に開催され、開始時間は午後6時。当時の会費は500円で、ヒットしていた『ハイニッカ』(1本500円)を飲んだ。駅前の「祗園」という余市では指折りの料亭が会場であったが(現在はない)、女将の心意気があったのだろう、料理も出てひとり500円は当時としても格安の料金であった。

昭和62年8月にはJR余市駅長の発案で岩手の会「G&G会」と共催し、札幌「うすけぼー」行きの列車を運行させたり、翌63年には宮城峡蒸溜所、青函博、秋保温泉、小牧温泉などを巡る旅行も催された。

「ニッカの会」では「余市をより良い街にするにはどうしたら良いか」「子供たちの教育のあり方はどうか」など四方山話に花が咲き、それがきっかけとなって「余市ボーイスカウト」(現在休団中)が創団されることになった。ボーイスカウトの発祥の地はイギリスで、軍人であり作家でもあるロバート・ベーデン=パウエルが、1907年にイギリスのブラウンシー島で子供達を集めて実験的にキャンプを行なったのが始まりである。彼の著書「スカウティング・フォア・ボーイズ」が子供達の間で読まれ、ボーイスカウト活動はイギリス国内ばかりでなく世界に広がっていったのである。

最初に発言したのが私ということもあり、団委員を引き受けることになった。指導員は自営業者やお寺の若い僧侶、神社の神主など比較的時間が自由になる人達が引き受けてくれた。キャンプボーイスカウトの団員はハイキングやキャンプを通して、自然を大切にすること、仲間を大切にすることを学ぶ。私も参加したことがあったが、大人と子供が一緒になってテントを張り、お互い協力し合うのはとても良い教育になると思った。中でも印象に残った言葉が「お世話になった場所に感謝を残しても良いが、塵を残してはいけない」というものであった。キャンプを行なった後は、皆でしっかりと後片付けをして塵ひとつ落ちていないように清掃を行なう。これも立派な教育ではないか。

毎日のように子供たちのいじめに関する痛ましい報道がなされているが、私の少年時代には、いじめなどなかったように思う。「弱い人は助けてあげなければいけない」が当たり前であった。小学校に通っている頃、「修身」という授業があった。一週間に一度、校長先生または教頭先生が教壇に立つ。「修身」は偉人らの様々な逸話を通じて、勤勉、努力、忍耐などの徳目を子供たちに学ばせるというものであった。「勝海舟は、貧しかった頃、借りた蘭語の辞書を一年かけて写した。「乃木大将は、他人に迷惑をかけてはいけないからと、雨に濡れた外套姿では電車の席に座らなかった」など、偉人たちの逸話には身の引き締まる思いがしたものである。

ウイスキーを通じて様々な人たちと出会い、ウイスキーを飲むばかりでなく、社会や教育の在り方などについて話し合えるというのはとても有意義なことではないか。来たる12月に行なわれる余市「ニッカの会」は発会45周年を迎えるお祝いを兼ねた会である。どのような話が出るか、今から誠に楽しみである。