余市蒸留所写真 余市蒸留所写真

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第54話

第54話

ふっと思い出すこと

食の話題が出てくると、ふっと思い出す店がある。今はもう無いが、大阪の北新地にあった日本料理屋は頑固一徹なご主人がいて、なかなか趣き深い店であった。メニューはなく、その日仕入れた旬の食材を使った料理が振舞われる。どの料理も大変美味しかったが、残すとご主人の機嫌が悪くなるので、必ずお腹を空かせて暖簾をくぐったものである。常連客が二日続けてやって来るようなときは、同じ料理が出ないよう仕入れを考えたり、工夫をしてみたり、客の好みに合わせた調理方法で出したりと細やかな心配りもなされていた。

いつであったか、カウンターにいた客が話に夢中になるあまり、料理が3品ほど溜まってしまったことがあった。仲居さんがさり気なく吸い物の蓋を取って勧めたところ、すかさずご主人が「吸い物の蓋までとって食わさんでもええ!」と一喝。いわゆる“頑固親父”という風情だが、吟味した食材で作った、心づくしの料理を一番美味しい状態で食べて欲しいという心意気は、まさに職人気質。私が料理を平らげ、お酒を勧めると「おおきに!」とニコニコ笑いながら飲んでくださる姿は、まるで布袋様のようであった。味にうるさい、そして時に客にもうるさいご主人が店に並べていたウイスキーが『スーパーニッカ』だったということも、嬉しい思い出である。

思い出といえば、ニッカウヰスキー本社が日本橋(東京都中央区)にあった頃のことである。繁華街・銀座にも近く、一等地に建つ本社は木造で、平屋に二階を継ぎ足した粗末なものであった。当初は「5~6年もてばいいだろう」と考えていたのだが、何だかんだと10年以上は使っていたように思う。

私はあちこちの料理屋やバーへ営業に出かけていたのだが、政孝親父は馴染みのバー以外にはほとんど顔を出す事はなかった。早い時間に気に入りのバーへふらりと立ち寄り、ショットグラスでウイスキーを飲む。自宅では『ハイニッカ』と決まっていたが、そのときは特に決まった銘柄を注文するのではなく、「あれをくれ、これをくれ」と数種類飲んでいたらしい。おそらく、バーに置かれていたスコッチウイスキーをテイスティングしていたのではないだろうか。スコッチウイスキーのサンプルは余市蒸溜所の研究室にもあったのだが、日本橋に当時としては珍しいスコッチウイスキーのサンプルなど置いておいたら、あっと言う間に(誰かに飲まれて)なくなってしまったに違いない。

私がいたのは二階の部屋で、時々、隣接した小料理屋から三味線の音が聞こえてくることがあった。夕方近くになると今度は料理のいい香りが漂ってくる。それは良いのだが夕方になると頭痛がしてきて仕事の効率が上がらない、という問題が起こるようになった。私は冗談めかして「営業の人間が大勢、外で悪い空気を吸って帰ってくるから、部屋の空気がよくないんだ」と言ったことがあった。そこで空気を分析して炭酸ガスの数値を測ったところ、想像以上に高い数値が出たのである。炭酸ガスが多いという事は、それだけ酸素が少ないということである。再度お正月休みの前後に空気の炭酸ガス含有量を調べたところ、休み前にはかなり高い数値を示していたのが、休み明けは正常値に戻っていたのである。

最近、酸素バーが出来たり、携帯酸素を販売している店が増えてきた。体内に有益な酸素を取り込むことで、疲労回復や代謝機能の向上が期待出来るらしい。確かに空気がきれいな場所へ行くと元気になるので、酸素と人間の健康には深い結びつきがあることは事実である。それにしても、酸素を買う時代がやって来るなど誰が想像したであろうか。水もペットボトルで売られているのが当たり前となった現代、「空気と水はタダ」は遠い昔の話になりつつあるようだ。

整った食生活と新鮮な空気と水も大切だが、やはりほっと心休まる時間にはウイスキーが必要だとも思うのである。