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第69話

第69話

お洒落

前回『ヒゲと勲章』という本について触れたが、髭は確かに政孝親父のトレードマークになっていた。

30年ほど前、ヨーロッパを訪れたとき髭を蓄えた男性をよく見かけたが、日本では豊臣秀吉の時代、武士が髭を生やすのが当たり前であった。顔にも威厳を漂わせよう、という意図だったのかもしれないが、髭の薄い者はわざわざ付け髭をつけたというからご苦労な話である。やがてその“髭文化”は衰退したが、18世紀頃、イギリス紳士の間で髭がステイタスシンボルになると日本でも流行した。

政孝親父曰く、髭は結婚記念のためだ、ということにしてあったが、実は留学当時、大きな体格をした英国人たちのなかで少しでも貫禄がある格好をしたほうがよい、若僧に見られたくない、という気持ちから生やすようになったのだという。戦時中、剃ろうかと考えていたところリタおふくろから「髭のないあなたの顔など想像もつかない」と言われ、女房のたっての望みならば、と剃るのをやめたという。

あの独特の“逆への字”をしたスタイルはカイゼル髭と呼ばれ、かつてプロイセンの皇帝ヴィルヘルム2世が、あのような形の髭を蓄えていたことからカイゼル(ドイツ語で皇帝という意味)という名称になった。

『ヒゲと勲章』に、政孝親父の髭についてこんなことが書かれていた。

「まず、ヒゲが網膜にのしかかってきた。イヤでも、目がそこへ行く。雄大なカイゼルひげである。一本一本が見るからに固そうだ。全体のボリュームもすごい。左右は、見事にはねあがっている。ひとくちでいって、このヒゲはゴツイ。こんなものオッ立てている人物は、中身も月並みではあるまい。とっさにそう思われた。」
(矢野八郎“ニッカのカイゼル”所載)

政孝親父は、これくらい強いインパクトが与えられるのだから、まんざらでもないわい、と思ったようだ。

現在、髭を蓄えている人をよく見かけるようになったが、よく手入れが行き届いている人や無精髭のように無造作に伸ばしている人など、様々である。さすがにカイゼル髭の持ち主に出会ったことはないが、リタおふくろのこんな言葉を思い出した。「洋服の流行は(周期的に)同じようなものが巡ってくるのよ」。

髭がたびたび流行するようにファッションにも流行がある。昭和38年、ブレアーズ社製のカフェ式連続蒸溜機を購入するために政孝親父と渡英したとき、ブーツを履いた婦人の姿をよく目にした。政孝親父は「あのブーツは日本でもブームになる」と言った。すると数年後、日本でもブーツが流行。“ほう、よく観察しているものだな”と感心したものである。そして現在、またブーツが流行している。

政孝親父はこんなことも言っていた。「女性は着る物や飾る物に興味がある。首からいろんな物をぶら下げているが、幾つになってもああいう物を欲しいと思うものだ。よく覚えておけ、威」。ネックレスなどのアクセサリーを指してのことであろうが、よく覚えておけと言われたものの私は女性にプレゼントをするのが苦手である。人にはそれぞれ好みというものがあり、私がよかれと思っても、あちらが気に入ってくれなければ何もならない。

流行の話に戻るが、リタおふくろについて“とてもお洒落な人”という印象を持ってくださっている方がいるが、おふくろはやたらに服やアクセサリーを買うことなく、若い頃身につけていた物を大切に保管していた。リタおふくろ曰く「また流行するから古い服は捨てないでとっておいたほうがいい」のだそうだ。

流行遅れになったからと新しいものを買っても、別のものが流行れば、また新しいものを買わなければならない。これは消費の典型だが、古いものを大切にとっておけば、また身につけることができる。リタおふくろのスコットランド人気質、とでもいおうか。スコットランドの人たちは身につける物に愛着を持っていて、一度手に入れた物は長く大切に使っているように思う。

さて、洋服で思い出したことがある。政孝親父が留学した頃、グラスゴーの洋服屋で服を仕立てていたので、その店には型紙があった(型紙は薄い板で造ってあった)。親父は帰国後も洋服を注文していたくらいで、かなりお洒落だった。戦前、その洋服屋でスーツをあつらえ受け取ったのだが、戦争に入り送金できなくなったのが気になっていたらしい。
カフェ式蒸溜機の買い付けに渡英したときグラスゴーでその店を探したところ、さすがスコットランドである、古い街並みの中に厳然として残っていたのである。残念ながらおやじさんは亡くなっていたが、ご子息が出てこられ、事情を説明したところすぐ古い書類を出してこられ、金額を示された。20数年前の金額で良いと言われたが、戦後のインフレもあり貨幣価値が随分変わっているはずである。恐縮してもう一着注文し、私は生地だけを買って帰ったのである。政孝親父が「わしのは型紙があるから採寸はいらんぞ」と威張っていたのを覚えている。

洋服でもウイスキーでも物づくりにたずさわるということは、利益以外に得られるもののほうが大きいのではないだろうか。服を着る人、ウイスキーを味わった人が満足してくださる。その瞬間があるからこそ、長いこと仕事を続けることができるのだと実感している。