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第78話

第78話

冬の想い出

今年の正月三が日、全国の主な寺社・仏閣へ初詣に参拝した人の数は、9,939万人と、昨年より121万人も多かったらしい(警察庁発表)。不景気になると参拝客が増えるといわれているが、今年は多くの方々の祈りが通じる良い年になって欲しいものである。私は散歩がてら外に出てみたものの、あまりの寒さで早々に帰宅してしまった。ビリビリする寒さ、とでもいおうか。

「余市の方がずっと寒いでしょう」と言われるが、暮らしていると東京の方が寒いと感じる。もちろん気温は東京の方がずっと高いが、寒さ対策は寒い場所の方が万全である。北海道は暖房がしっかりしているので暖かい室内で浴衣を着て冷たいビール、は珍しいことではない。

私が暮らした余市・山田町の家には薪ストーブがあり、そのぬくもりは、とてもやわらかく心地よいものであった。薪ストーブを使う前は石炭ストーブだったが、石炭の場合、カッとした熱さがするうえに、煤が溜まるので煙突の掃除をしなければならなかった。

薪や石炭を使ったストーブの場合、就寝時には必ず消しておかなければならないので、さすがに夜中は寒かった。政孝親父は「頭が冷たい」と毛糸で編んだ帽子を被って寝ていたことがあったが、寝ているうちにスルリと脱げてしまう。試行錯誤した結果、タオルや手ぬぐいを頭に巻いて、枕元に大工に作らせた特製の小さな屏風を立てて寝ていたようだ。屏風は冷気除けの衝立代わりといったところか。

また、「銅は熱伝導率がいいから銅でストーブをつくったら、さぞかし暖かいに違いない」と職人に銅製のストーブを作らせ、意気揚々と作動させたところ、銅が溶けて表面が剥がれ、変形して使い物にならなかったこともあった。政孝親父は思い立ったらすぐに行動しなければ気が済まないところがある上に、「ああでもない、こうでもない」と何かしら新しいこと、工夫することが好きだったようで、時折突拍子もないことをすることがあったが、リタおふくろは「今度は何を始めるのかしら…」と、あまり意に介していない様子だった。

今月の17日は、そのリタおふくろの祥月命日なので教会のミサに出かけた。賛美歌を歌っていると、師走の夜の出来事を思い出した。とても寒い雪が降る晩である。庭から賛美歌が聞こえてきた。外に出てみると、余市教会の牧師さんをはじめ、信者の方々が並んで賛美歌を歌っていらっしゃる。病床にいるリタおふくろを励ますために、わざわざやって来てくださったのだ。

凍えそうな寒空の下である。「どうぞ、あがって体を温めてください」と申し上げたのだが、彼らは「お気持ちだけで結構です。私たちはリタさんが良くなられるように、お祈りのための歌を歌いに来ただけですから」と、しばらく賛美歌を歌って、帰って行かれた。そのとき、リタおふくろの容態はかなり思わしくなく、話をすることはできなかったが、彼らの歌声は勿論聞こえていた。

後でわかったのだが、その余市教会の牧師さんは偶然にも私と同じ広島の福山出身で、中学の後輩であった。私が養子縁組で姓が変わったので、すぐにわからなかったのだが、これも何かの巡り合わせだったのだろうか。信者の方の中には、リタおふくろと面識のなかった人がいたかもしれないのに、寒空の下、祈りのために賛美歌を歌うなどなかなかできることではない。今でも、そのときの牧師さん、信者の方々のことを思い出すと胸が熱くなるのである。

1961年(昭和36年)1月17日、一ヶ月前に64歳の誕生日を迎えたばかりのおふくろは、余市の自宅で静かに最期を迎えた。グラスゴー郊外のカーカンテロフという町で暮らす中、ウイスキーづくりを学ぶためにやって来た日本人と結婚。そして、単身、日本に渡ったリタおふくろ。気丈であったが、心細い事もたくさんあったに違いない。

私が養子となり、一人、余市に向かったのは1943年。余市駅に着くと、出迎えてくれた政孝親父と工場の人たちの中にリタおふくろの顔があった。雪が降る晩、帰宅が遅いと橋の欄干から落ちたのではないかと心配し、手が荒れても料理は人任せにせず、ジャガイモひとつ茹でるにも政孝親父や私が帰宅する時間にぴったり合わせて茹で、孫が出来ればベビー服を縫い、いつ、どんなときも家族のために気を配っていたリタおふくろ。私はウイスキーづくりに携わることができたのと同じように、政孝親父、リタおふくろと家族として共に暮らすことができて幸せであった。

2009年は、昨年に引き続き何かと波乱が多い一年になると言われ、深刻なニュースばかりが取り沙汰されている。そんな時代だからこそ、より奮起して頑張らなければならない。ウイスキーは人と人を結びつけるコミュニケーションアイテムでもある。互いに乾杯し、笑顔で過ごす時間が増えれば、波乱の一年にも光明を見出すことができるのではないだろうか。皆様がウイスキーを愉しみ、有意義な時間を過ごすお手伝いができれば、それに勝る喜びはない。