余市蒸留所写真 余市蒸留所写真

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第86話

第86話

食や酒があるところに人が集まる

朝夕の風が涼しくなって東京にも秋の気配が漂っているが、この時期になると「天高く馬肥ゆる秋」という故事をよく耳にする。これは現在、一般的に、秋になって食欲が増して馬が肥える“豊穣の秋”という意味合いで使われているが、実は違う意味を持つものであったそうだ。この故事は中国から伝わったもので、次のようなことから生まれたといわれている。

その昔、中国のある農村では収穫期になると作物を狙った騎馬民族が村に来襲、せっかく育てた農作物を持っていかれてしまうことがあった。“馬が夏の間にたくさん草を食べ、肥えてくる秋になると騎馬民族がやって来る。注意せよ。”ということで「天高く馬肥ゆる秋」と表現。秋には異変が起こるから注意しなければならない、という緊張感を喚起する言葉であったとのこと。現在では実り多き秋を示すものとして定着しているが、故事や諺の解釈の変化は実に面白いものだ。

食といえば、長万部から余市へ行く列車の中でよく蟹を食べた。政孝親父の「蟹買って来い!」という声が思い出される。当時、国鉄の長万部駅では茹でたての蟹が売られており、値段も安かった。蟹を丸ごと1杯、ウイスキーと一緒にいただく。殻を手で割ってしゃぶりついては、カスを膝の上に広げた新聞紙の上に捨てる。これが良い暇つぶしになった。

私は大食漢ではないが、それでも体重は70kgくらいある。一番体重が増えたのは意外にも戦時中で、学徒動員で軍事用アルコールをつくっている頃であった。燃料にするために大量の砂糖が運び込まれるので、砂糖と小豆でお汁粉をつくって食べていたり、同じくアルコールをつくるためのサツマイモもあったので、焼いたりふかしたりして食べていた。戦時中、食べ物が無い時期に“イモ太り”など贅沢な話である。

食事をするときはいつも腹八部を心がけている。昼食は会社の地下にある店で済ませることが多いのだが、量が多いように思う。働き盛りの方々にとってはボリュームたっぷりの方がありがたいのだろうが、私は飯は茶碗一杯で十分である。大盛りがあるのだから中盛り、小盛りがあってもいいのではないだろうか。こうすればたくさん召し上がらない方もちょうど良い分量が食べられるし、残して捨ててしまう量も減るので一石二鳥である。

食や酒があるところに人が集まる。つい先日も30人ほどが集まってウイスキーを飲んだのだが、なぜか私はいつも乾杯の音頭を頼まれることが多い。あっちで乾杯、こっちで乾杯。文字通り乾杯係である。

これまでたくさんの方々とお目にかかったが、初対面の場合は、必ずと言っていいほど名刺交換ということになる。中には珍しいワニ革の名刺もあった。ワニ革の名刺入れではなく、ワニ革の名刺、である。目立つように、とおつくりになられたのであろう。印刷技術が進んで何にでも印刷できるようになったとはいえ、革の名刺は後にも先にもあの一枚だけであった。

また、ある方から純金の名刺をいただいたことがあった。書かれているのは相手方の名前ではなく私の名前である。記念に、とくださったものだが世の中にはいろいろなことを考える人がいるものである。純金はとても柔軟な物質で、大変薄く伸ばすことができる。わずか1gで、畳にして2畳くらい、糸状にすると3,000mくらいまで伸びるらしい。その特性から様々なものに加工しやすいのであろう。

ニッカウヰスキーに入社してから今日まで、いただいた名刺は全部保管してある。たくさんの方々にお会いできた証であり、それだけのご縁があったということは大変ありがたいことだ。初対面の方と会うときに欠かせない名刺であるが、その起源も「天高く~」の故事と同様、中国だという説がある。

唐の時代、用事で先方を訪ねた際、不在であると木や竹の札に自分の名前を書いて扉に挟んで訪問を知らせたのが始まりだという。木や竹の札が「刺」と呼ばれていたことから名刺という呼称になったらしい。

いただいた分だけお渡しした名刺があるのだから、私の名刺をお持ちの方も大勢いらっしゃるということになる。その皆々様にウイスキーの素晴らしさ、愉しさをどれだけお伝えできたであろうか。手元の名刺が減った分だけ、ニッカのウイスキーのファンになってくださる方が増えれば幸いである。