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キャンベルタウンの町

キャンベルタウンの町

まず最初に、父が25歳のとき、リタおふくろとの新婚時代に3ヶ月間の実習をさせてもらったヘーゼルバーン蒸溜所跡のあるキャンベルタウンの町を訪れた。
スコットランド西側、大西洋に突き出たキンタイア半島。その突端に位置するのがキャンベルタウンの町。
良港と石炭の鉱脈、ウイスキーの原料となる大麦の生産地に恵まれたことから、スコットランドでもいち早くウイスキーの産地として名を馳せた町である。20世紀初頭には既にスコットランド随一の生産地として、最大時34もの蒸溜所が軒を連ねていたそうだ。

しかし今はスプリングバンク、グレン・スコシアの2蒸溜所しか残っておらず、往年の“ウイスキーの町”の面影はない。

父がこの地を訪れたのは1920年。グラスゴーから汽船で5時間かけて行ったらしい。当時の模様は余市のウイスキー博物館にある実習ノートに詳しく記載されている。今回はこのコピーを持参した。原料のことから製麦方法、蒸溜方法、工場設備の見取り図、蒸溜器のスケッチなどから職工の処遇や社宅に至るまで、実習を行った時のことが事細かに記されたものである。

日本でのウイスキーづくりを夢見て書かれたものであり、あらためて見ると、帰国してから摂津酒造でのウイスキーづくりの夢がかなわず、さぞがっかりしたことだろう。

ヘーゼルバーン蒸溜所はキャンベルタウン最大の蒸溜所であったが、1930年台前半、奇しくも余市の蒸溜所を興したあたりに閉鎖されている。現在は当時の工場の一部が残っているだけだ。 スプリングバンク蒸溜所マネージャーFRANK.S.McHARDY氏は
「あれが当時の事務所だよ」と教えてくれた。

活気あふれるかつてのウイスキー城下町の面影はもうないが、FRANKが用意してくれていた当時のヘーゼルバーン蒸溜所のスケッチに、若かりし頃ウイスキーづくりの夢に燃えていた父の姿を重ねることができた。

ヘーゼルバーン・ウィスキー

この町に、スペイサイド、アイラ等と並ぶスコッチの名産地「キャンベルタウン・ウイスキー」を復活させよう、とする動きがある。

私たちを迎えてくれた1828年創業のスプリングバンク蒸溜所を経営するJ.&A. Mitchell & Co,.Ltdがその中心となっている。
スプリングバンク蒸溜所は、「スプリングバンク」「ロングロウ」の2つのシングルモルトブランドを出しているが、同蒸溜所は、製麦からのすべての作業を自社で行う、伝統的な製法を守りつづける数少ない蒸溜所のひとつである。

その精神が、ウイスキーの町を再び世にアピールしようとしている。

J.&A. Mitchellは、1920年に閉鎖されたグレンガイル蒸溜所を2001年に買収し、その製造をこの2004年から復活させるとのこと。そして、父が実習の総仕上げをしたヘーゼルバーン蒸溜所の名を自らの蒸溜所で復活させ、近く“ヘーゼルバーンウイスキー”としてボトリングすることになっている。

McHARDY工場長は我々を歓迎する夕べの席上で、私に最初の記念ボトルをくれた。

世界中でウイスキーが逆境に立たされている中、立派な考えであるとともに、歴史を大切にするスコットランド人らしい意気込みを感じる。同じ精神を持つ会社として応援したい。

キャンベルタウンで出会った懐かしいウイスキー

蒸溜所近くには父が新妻リタを伴って宿泊し、実習期間中の定宿としたホワイトハートホテルがある。

マネージャーのPeter G. Stogdale氏は以前ニッカウヰスキーのスタッフが訪れた時にプレゼントした「シングルモルト北海道12年」を大事に持っていてくれた。
このウイスキーは、「もう日本では手に入らない貴重な品だ」と話したところ、マネージャーはそのボトルにサインし私にプレゼントしてくれた。

このウイスキーは、翌々日の晩に一行で飲んでしまった。
「やはり時が過ぎて少々ヘタれているが、
やはりうまいウイスキーだ」
とは、この商品を手がけた佐藤マスターブレンダーの談