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マッサンとリタの物語 - ニッカウヰスキー創業者「竹鶴政孝」を妻「リタ」がマッサンと呼んでいました

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夢に生きた男がいた。夢を支えた愛があった。

「日本で本物のウイスキーをつくりたい」。果てしない夢に生涯を捧げた、ニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝。彼の傍らにはいつも、ひとりのスコットランド女性の姿がありました。彼女こそ、竹鶴の妻・リタ。スコットランド留学中の竹鶴に出逢ったリタは、その真摯な情熱に魅かれ、彼と共に夢を追うことを選んだのです。妥協することなく夢を追い続けた竹鶴。愛をこめて彼を“マッサン”と呼び、共に生きたリタ。ふたりの想いと情熱はニッカのウイスキーづくりにしっかりと受け継がれ、未来を切り拓く力として生き続けます。

竹鶴政孝・リタのプロフィール

竹鶴政孝 “より多くの日本人に本物のウイスキーを飲んでほしい。”その情熱を胸に、大正7年(1918年)、24歳の青年が単身渡英。門外不出のウイスキー製造法を学び、帰国後、日本に初めてモルト蒸溜所を完成させた。本物のウイスキーづくりに人生を賭け、日本で本格ウイスキーをつくり続けたこの男こそ、ニッカウヰスキーの創業者、竹鶴政孝である。 写真(竹鶴政孝)
写真(竹鶴リタ) 竹鶴リタ プロポーズの時「スコットランドに残っても構わない」と言う竹鶴に、「私はあなたの夢を共に生き、お手伝いしたいのです」と答えたリタ。日本の生活に溶け込もうと努力を重ね、漬け物や塩辛まで手作りした彼女を、人々は「日本人以上に日本人らしい」と評したほど。日本語の勉強にも励み、流暢な関西弁を操るまでになったが「マサタカサン」という発音が難しかったためか、竹鶴のことを「マッサン」と呼んだ。