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第37話

第37話

念願のカフェ式連続蒸溜機

『ブラックニッカ(特級)』が発売されたのは昭和31年。まだ宮城峡蒸溜所もカフェグレーン設備もない頃で、使われているのは余市蒸溜所の原酒であった。ラベルは最初、コルクを加工して作る予定だったのだが、技術的にどうしても難しく、コルク風のデザインを施した紙のラベルになった。『ブラックニッカ』でお馴染みの“ヒゲ”をたくわえたW・P・ローリーの姿はまだ無く、狛犬と山中鹿之助が使用した兜をデザイン化したラベルマークが描かれており、赤い封蝋(ろう)が施されていた。

当時は戦後初めてのウイスキーブームで、あちこちでニッカ、トリス、オーシャン等の名を付けたバーが林立。今でこそバーでビールやカクテルなどが飲まれているが、その頃はウイスキーが主流であった。

スコットランドでウイスキーづくりを学んだ政孝親父は、スコッチのブレンデッドウイスキーは、モルト原酒と穀類からつくるグレーンウイスキーをブレンドさせてつくるものだということを知っていた。日本ではまだ中性スピリッツ=アルコールとモルト原酒を混和していたのである。

政孝親父が求めるグレーンウイスキーを蒸溜するためには、カフェ式連続蒸溜機(1826年、ロバート・スタインが連続式蒸溜機を発明。そして1830年頃、イニアス・カフェが連続式蒸溜機を改良し特許を取得した)が必要になる。カフェ式連続蒸溜機は原料の香味成分を除去しきれない、という点で純粋アルコールづくりには適さないが、ウイスキーづくりにとっては、その副産物である香味成分こそが重要なものとなる。ぜひとも導入したい設備だが、資金が不足していた。そこに助け舟を出してくださったのが、朝日麦酒の山本為三郎社長であった。政孝親父は自叙伝にそのときの様子をこう書き残している。

“だが、この夢は実現した。朝日麦酒社長の故山本為三郎さんが「カフェ式グレーン・スピリッツをやるには莫大な資金がいる。しかし、今日の消費者の舌は進歩してきて、いいものはいいとして鑑別できるようになった。余市でポットスチルは完成しているが、カフェ式連続蒸溜機でつくったグレーン原酒を混ぜないと本格的な香りが出ない。これをやらなければスコッチに負けてしまう」と、積極的に援助してくださったのである”

念願のカフェ式連続蒸溜機が西宮工場に導入されたのは1963年。設置当初は技術的な面で試行錯誤があったものの、改良を重ねてようやく品質が安定したグレーンウイスキーがつくられるようになり、1965年(昭和40年)余市蒸溜所のモルトウイスキーとグレーンウイスキーをブレンドした『ブラックニッカ(一級)』が誕生したのである。

一級ウイスキーで1、000円ちょうどという価格も受けて、爆発的に売れた。それまで特級のウイスキーでしか出せなかった味わいが、グレーンウイスキーをブレンドすることで一級のウイスキーをより味わい深いものにする。「特級をも凌ぐ」という広告コピーと1、000円という価格は、1、000円ウイスキー戦争を巻き起こした。時は高度成長期時代。『ブラックニッカ(一級)』は爆発的に売れ、1、000人は収容できるマンモスバーでも人気を集めたのである。

ところで『ブラックニッカ(一級)』といえば、英国で「キング・オブ・ブレンダーズ」と呼ばれ、世界一の鼻利きといわれていたW・P・ローリーのラベルだが、政孝親父はよく「このラベルに描かれているヒゲの男は、あなたがモデルですか?」と尋ねられていた。すると「わしは自分の顔をラベルに使うほど厚かましくないぞ。それにヒゲの男は目が青いじゃないか。わしの目のどこが青いんじゃ?」と冗談めかして笑いながら答えていた。

ウイスキーは透明瓶が多いが、『ブラックニッカ』は文字通り黒。このボトルにも賛否両論が飛び交った。「(黒いため)中味が見えないので、ボトル棚に並べたとき(量の多い少ないが見えないから)綺麗である」という意見もあれば「中味が見えないので、どのくらい飲んだかわからない」というものもあり、実に興味深かった。発売から40年を経た現在も『ブラックニッカ(スペシャル)』は黒い瓶。バーなどのボトル棚にあると目立つ存在であることに変わりは無い。

このW・P・ローリーだが、スコットランドのウイスキーについて書かれた文献には意外なほどたびたび登場する。1853年、エジンバラの酒商、アンドリュー・アッシャーは、グレーンウイスキーとシングルモルトウイスキーを混ぜ合わせたブレンデッドウイスキーの製造を始めた。W・P・ローリーは、その同じ時代に実在したという記述がある。

『ブラックニッカ(一級)』が誕生して40年。ニッカウヰスキーが独自のブレンデッドウイスキーをつくり始めた「原点」ともいえる思い出深い商品である。

※『ブラックニッカ(一級)』は昭和60年(1985年)に『ブラックニッカ・スペシャル』と商品名を変えましたが、発売以来40年にわたり“ひげのウイスキー”として親しまれ、現在に至ります。