余市蒸留所写真 余市蒸留所写真

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第49話

第49話

美園の丘

8月の休暇というと“お盆休み”であるが、地方によっては7月13日~15日にお盆を迎えるところもあるようだ。お盆の語源は盂蘭盆会(うらぼんえ)で、インドのサンスクリット語のウラバンナ(逆さ吊り)を音写したものだと言われている。逆さまに釣り下げられるような苦しみに遭っている人を救う法要、という意味があり、釈迦の弟子の一人が自分の母親を救う話に由来しているらしい。それがやがて「先祖の霊が帰ってくる日」と考えられるようになり、多くの人が墓参りを兼ねて帰省するようになったようである。

それにしても日本という国は、実にたくさんの神様がいらっしゃるものだ。山や川、木の他にも風や雷などの自然現象に神々の存在を感じたのであろうか。よく“八百万(やおよろず)の神”と呼ばれるが、八百万は数が多いことの例えであるとしても、その数は途方もない。

京都の松尾大社には酒の神が祀られており、亀の井の水は酒造時に入れると酒が腐らないといわれ、延命長寿、よみがえりの水としても知られているらしい。工場にあるポットスチルの上部には注連縄と紙垂が掛けられているが、これは政孝親父の生家が造り酒屋であったことに由来している。

また、政孝親父は、工場の玄関の方角や麻布にあったボトリング工場の敷地内にある池に「必ず主がいるに違いない。だから池を潰した奴には祟りがあるぞ」と言い、池を埋めることを絶対に許さなかった。意外に政孝親父は信心深かったのかもしれない。

ところで。私の家はキリスト教なので、お盆に墓参りのためだけに余市に出かけるという習慣はない。余市に出かけたとき、工場から墓のある美園の丘に一礼するくらいだ。それでもたまに顔を出してみると墓前に置かれた名刺入れに、墓参してくださった方々の名刺が何枚か入っていることがある。その多くがニッカファンということで、亡くなって今もなお政孝親父、リタおふくろを訪ねてくださる方がいらっしゃるというのは大変有難いことである。

仏教では宗派にもよるが、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、三十三回忌などの法事を行なう。キリスト教の場合は仏教でいう法要にあたる日は特に決められていない。命日がある月の第一日曜日に教会へ出かけてミサに参加するくらいであろうか。

政孝親父はにぎやかなこと、宴会や仲間が集まっての飲み会は大好きであったが、「わしは悲しい席に出るのは嫌いなんじゃ」と言って、法事などは私が代理で出席したものである。リタおふくろの葬式のときも「夫婦と孫2人と4人で骨を拾ってきてくれ。わしは行かん」と部屋に閉じこもり、火葬場へも行かなかった。

政孝親父とリタおふくろの墓があるのは、工場と余市川を見下ろせる美園町であるが、ここの墓地を購入したのは戦中ではなかったか。「おまえも、ここに入るといい」と政孝親父は言ったが、夫婦墓の墓石が工場の方に向けられて建っているので、配置上どう考えても私が入る余地は無さそうである。

墓地を購入して間もなく、政孝親父は工場で働く従業員2人に「(自分の墓地の)すぐ隣に、2基分空いているようだから、そこを買うといいぞ」と話していたようで、それを聞いた従業員は「それはいい!(政孝の)すぐ近くで眠れるなら、ぜひ買いたい」と喜んだらしい。1人は、政孝親父が横浜にいた時代、ビール工場からついて来た技術屋で、もう1人は余市で採用した建築士であった。彼らのお墓は政孝親父と同じ、美園の丘にある。数十年が過ぎても、相変わらずウイスキーづくりの話で盛り上がっているに違いない。しかし、死んでも仕事から離れられないで気の毒にとも思う。

今月29日は政孝親父の命日である。特別何かをするという事はないが、写真を飾り、古い樽材で出来た小さな十字架と、大好きであった『ハイニッカ』を供えて静かに過ごそうと思っている。十字架を造ったのは樽職人であったが、何十年経っても寸分の狂いもない。こういうところにも職人技なるものが垣間見られることがあるものだ。

「わしが死んでも工場の中ではわしの胸像が、墓からはわしがいつでも睨んでおるから、(ウイスキーづくりで)いい加減なことは出来んぞ!」と冗談めかして言っていた政孝親父の顔が、ふと思い出される。