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- 高品質グレーンを生み出すカフェ式蒸溜機秘話
宮城峡で生まれるまろやかなモルトウイスキー。
その味わいをより深いものにするのが
グレーンウイスキーなのだ。

新川川と広瀬川が出会い、水は地中をくぐり抜け磨き上げられる。木々が茂り、空気はどこまでも澄んでいる・・・・ここ宮城峡で育まれるモルトウイスキーは、まろやかで華やか。
北海道余市とは違った個性を持つモルトウイスキーが誕生するのは仙台の優しい北の自然に加えて、ポットスチルを焚く方法にあった。


余市工場は力強い味わいに仕上がる直火焚き。仙台工場ではスチーム式で、じっくりと蒸溜。このモルトウイスキーにグレーンウイスキーをブレンドすることで、より多彩で味わい深いウイスキーが誕生するのだ。
グレーンウイスキーの原料はとうもろこしと大麦麦芽。蒸溜はカフェ式蒸溜機を使用。モルトウイスキーと同じように樽で熟成され、グレーンウイスキーになる。
グレーンウイスキーはモルトウイスキーに比べて香味成分は少なく、クセがない。しかしモルトウイスキーとブレンドすることで互いの個性を引き立てあい、複雑な旋律を奏でるブレンディットウイスキーになるのだ。


ところで、現在ではスコットランドでも見かけられなくなったカフェ式蒸溜機だが、その歴史は1800年代に遡る。
1826年、ロバート・スタインが連続式蒸溜機を発明。そして1830年、イニアス・カフェが連続式蒸溜機を改良し特許を取得。カフェ式蒸溜機が誕生した。この蒸溜機がニッカウヰスキーにやってきたのは1962年のこと。
そこにはこんなエピソードがあった。
当時カフェ式蒸溜機が設置されることになったのは兵庫県の西宮。しかし資金繰りに困難を極めていたこともあり、朝日麦酒(現アサヒビール)の子会社である朝日酒造がカフェ式蒸溜機を設置しグレーンウイスキーを製造、それをニッカウヰスキーが購入するという形をとっていた。
そして、1969年、アサヒシードルの朝日酒造弘前工場とともに朝日酒造をニッカウヰスキーが吸収合併しカフェ式蒸溜機がニッカウヰスキーのものになったのだった。
当時朝日麦酒の社長であった山本為三郎は竹鶴政孝とは摂津酒造時代からの知り合いであった。山本はビールづくりに尽力したように、ウイスキーづくりにも深い理解を示していた。政孝がスコットランドへ留学することになったときは、神戸港まで見送りに来てくれたという。
そして1999年。カフェ式蒸溜機は仙台へ移転。山本為三郎と竹鶴政孝。立場も目標も違っていた2人だが、本物の酒づくりにかけた情熱が果たしたカフェ式蒸溜機の日本上陸。
その夢を紡ぎ出す巨大な塔は、今日も仙台工場の大自然の中、黙々と働き続けている。

昭和40年、竹鶴政孝が待ちに待ったカフェグレーンをブレンドしたウイスキー「ブラックニッカ」が誕生した。新製品発表の席で、竹鶴政孝は次のように語っている。
「日本でモルトの完成がわが国のウイスキー史上で“第一の革命”とすれば、このたびの<カフェグレーン>の誕生は“第二の革命”といって決して過言ではないと確信します」以来、「ブラックニッカ」は多くのウイスキーファンに愛され続けてきている。